名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)476号 判決 1999年10月29日
原告
深谷巌
右訴訟代理人弁護士
小島高志
同
岩月浩二
同
井上祥子
同
荻原剛
被告
愛知県
右代表者知事
神田真秋
右指定代理人
沼田正美
外七名
被告
大府市
右代表者市長
福島務
右二名訴訟代理人弁護士
立岡亘
同
加藤睦雄
同
長屋貢嗣
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、各自原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成二年三月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
三 第一項につき仮執行宣言
第二 事案の概要
本件は、中学校の教員であった原告が、学校長から、愛知県の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置条例で禁じられている時間外勤務を命ぜられたこと等により、精神的苦痛を被ったとして、被告らに対し、国家賠償法一条及び三条に基づいて損害賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 当事者
(一) 原告は、昭和二九年四月一日、愛知県教育委員会(以下「県教委」という。)により大府町立吉田小学校教諭に任命され、昭和六〇年四月一日、大府市立大府北中学校(以下「大府北中」という。)の教諭となり、昭和六一年度は第一学年の学年主任を、昭和六二年度は第二学年の学年主任を、昭和六三年度(昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日まで)は第三学年学年主任をそれぞれ担当した。
(二)(1) 被告大府市は、大府北中を設置し、これを管理し経費を負担している。
(2) 県教委は、大府北中の校長、教頭、教諭等を任命する権限を有し、被告愛知県は、その給料等その他の給与を負担している。
2 勤務時間
大府北中の勤務時間は、同校校長鍋田寛(以下「鍋田校長」という。)作成の学校管理案により、次のとおり定められている。
(一) 月曜日から金曜日までは午前八時二〇分から午後五時五分
ただし、右のうち、①午前九時三五分から四五分のうち五分間、②午前一〇時三五分から四五分の一〇分間、③午後四時五〇分から五時五分までの一五分間は休息時間とされ、④午後一時一五分から三五分までのうち一五分間、⑤午後四時二〇分から五〇分までの三〇分間は休憩時間である。
(二) 土曜日は午前八時から午後零時二〇分
ただし、右のうち、①午前九時三五分から四五分のうち五分間、②午前一〇時三五分から四五分の一〇分間は休息時間である。
二 主な争点
1 鍋田校長による違法な時間外勤務命令の存否
2 鍋田校長及び被告愛知県の管理義務違反(故意、過失)の有無
三 主な争点に関する当事者の主張
1 争点1について
(一) 原告の主張
(1)原告は、昭和六三年度、第三学年(以下「三年生」ともいう。)の社会科を担当して六クラスの授業を受け持つとともに、学年主任の職務を分掌していたが、平成元年一月から二月にかけて、鍋田校長の明示又は黙示の職務命令により、別表一、同二のとおり、時間外勤務(以下「本件時間外勤務」という。)に従事させられた。
(2) 愛知県の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置条例(以下「給特条例」という。)は、国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(以下「給特法」という。)八条及び一一条の規定に基づき、「義務教育諸学校等の教育職員については、正規の勤務時間(中略)の割振りを適正に行い、原則として時間外勤務(中略)は、命じないものとする。」(給特条例七条一項)として、教員の時間外勤務を厳しく制限している。
また、例外として時間外勤務を命じ得る場合も、次のとおり厳しく限定されている。
「義務教育諸学校等の教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合で、臨時又は緊急にやむを得ない必要があるときに限るものとする。
一 生徒の実習に関する業務
二 学校行事に関する業務
三 教職員会議に関する業務
四 非常災害等やむを得ない場合に必要な業務」
なお、給特条例がこのように教員に対する時間外勤務命令を厳しく制限した趣旨は、教員の職務の特殊性に基づき、教育の使命を達成するにふさわしい高度の専門性と自発性、創造性を発揮するに足りるゆとりのある時間を十分に保障することにある。
しかして、本件時間外勤務は、右の時間外勤務を命じ得る四業務(以下「限定四業務」ともいう。)に該当しないし、臨時又は緊急にやむを得ない必要があったものでもないから、鍋田校長のなした本件時間外勤務命令は違法である。
(3) ところで、大府北中は、いわゆる管理主義政策によって、休憩休息時間も十分にとれず、生徒との接触にも時間の不足を感じる多忙極まりない状況にあったが、これに大府市教育委員会等から研究委嘱を受けて学校運営上の最優先課題とされた道徳教育研究会(その詳細は(5)記載のとおり)及び複合選抜制度(その詳細は(4)記載のとおり)の導入に伴う膨大で過密な進学事務、進学指導(以下、これらを併せて「進学関連業務」という。)が重なり、この二つを中心とする過密日程が原告の時間外勤務を量的にも質的にも著しく加重したものである。
(4) 複合選抜制度について
① 複合選抜制度は、愛知県において平成元年度から実施された公立高等学校(以下「公立高校」ともいう。)の受験制度であり、推薦入試と二回の一般入試と第二次募集を組み合わせたものである。
推薦入試はこれまでも行われていたが、複合選抜制度になってから、その規模は飛躍的に増大した。大府北中においても、平成元年度の公立高校推薦入試志願者は七三名に及び、そのうち三五名が推薦されることになったが、その数は例年の約一〇倍であった。
一般入試は、A日程とB日程に分類されたグループから各一校を選択し、これに志望順位を付して二回受検するものである。したがって、平成元年度の公立高校の入学願書及び調査書は、二四八名分四七六通に及んだ。
右のとおり、複合選抜制度は、従前の学校群制度に比べて、受験機会の拡大と制度自体の複雑さのために、その進学関連業務は膨大なものとなったが、特に昭和六三年度は、複合選抜制度導入の初年度であったうえ、一般入試の日程が一週間繰り上げられたため、その進学関連業務は前例のない過密日程の中で行わざるを得なかった。
② ところで、入学願書、調査書に関する作業は、その過程で生徒の個人情報が必要な場合が多いため、クラス担任が全員集合して協同作業することが適切であり合理的である。しかし、クラス担任全員による協同作業は、鍋田校長が特段の配慮をしない限り、授業時間終了後でなければできないものであるところ、大府北中では、後記(5)記載のとおり、当時は道徳教育の研究が最優先されており、午後四時前後から頻繁に道徳研究の会議が開催されていたため、クラス担任が全員集合して行う進学関連業務は勤務時間外に行わざるを得なかった。
また、クラス担任が全員集合して行う必要のない進学関連業務でも、教員は授業の空き時間に処理すべき雑務を多数抱えているため、勤務時間外に行わざるを得ないことが多かった。
(5) 道徳研究会について
① 大府北中は、昭和六二年に大府市教育委員会、知多地方教育事務協議会から道徳研究の委託を受け、昭和六三年には文部省から道徳教育の研究指定の委嘱を受けた。本件道徳研究は右の文部省の委嘱に基づいて実施されたものであるところ、右委嘱を受諾したのは鍋田校長であり、教職員は研究委嘱を受諾した旨の報告を受けたのみである。そして、鍋田校長は、本件道徳研究が教職員にとって相当の負担となることが分かっていたことから、教職員に対し、「健康上、家庭上の事情がある者は転勤希望を出すように。」と述べた。
② 学校管理案は、校長が教職員に対し、年度始めにその年度の学校経営の方針や計画を示すものであり、教職員は、これによってその教育活動を推進するものとされているところ、大府北中の昭和六三年度の学校管理案には、本件道徳教育が本年度の重点努力目標として記載され、さらにその実施に必要な細目が明記されている。また、右学校管理案は、本件道徳研究の組織を学校運営機構の一部を構成するものとして明示し、校務分掌として道徳研究主任を置き、道徳研究発表会を学校行事としている。
右学校管理案に本件道徳研究の詳細が明記されていることは、本件道徳研究が鍋田校長の決定に基づき、その指揮の下、教師の職務そのものとして行われたことを明白に示している。
③ 本件道徳研究の組織は、校長、教頭、教務主任、校務主任、研究主任からなる研究企画部会の下に、授業研究部等の七部会を設け、全教職員がこれらの部会のいずれかに所属することとされた。また、各部の部長は部長会を構成し毎週協議を持つものとされ、さらに、全教職員によって構成される道徳研究全体会が設けられた。
これらの会議は、勤務時間内に勤務そのものとして開催され、また、一か月に一回の割合で行われる研究授業の際には、当該学年の全教師が授業を参観し、研究授業が行われていない学級は自習時間とされるなど、平常の教育活動に優先して実施された。
そして、道徳研究の会議は、夏休み等の生徒の休暇中にも行われたが、こうした会議への欠席は有給休暇として処理された。
④ 文部省は、本件道徳研究会のような行政当局による委嘱研修は、「職務研修として、勤務時間中における勤務そのものとして位置づけられ」、「最終的に校長が定めた研修計画にしたがって実施され」、「このような研修に参加しなかったり、計画に従わなければ職務命令違反ということになる。」としている。
本件道徳研究は、右に述べた文部省見解に沿って実施されたものであるから、校長を最終決定権者とし、校長の職務命令によって実施されたものであり、本件道徳研究に参加しなかった場合は職務命令違反となる。
⑤ 原告は、鍋田校長の職務命令により、道徳研究全体会及び原告が所属する実践部会への参加を強いられたが、時間外勤務を当然のこととして蔓延させている鍋田校長の学校運営の下では、右の各会議が勤務時間外になったとしても自由に退席することはできなかった。
そして、大府北中では、当時道徳研究が最優先課題とされ、連日のように道徳研究の会議が開かれていたため、原告ら三年生担当の教員は、必然的に進学関連業務を勤務時間外に行うことを余儀なくされ、原告の時間外勤務はいっそう加重された。
⑥ 仮に、原告が進学関連業務の日程を先に確保しようとしても、そのためには三年生担当教員の全員を道徳研究から解放する必要があるが、道徳研究が過熱していた中で、鍋田校長等の管理職にこれを求めても通るはずがなかった。
したがって、進学関連業務を勤務時間内に処理することは、事実上不可能であった。
(6) 本件時間外勤務の実態と鍋田校長の時間外勤務命令について
① 平成元年一月九日
同日の原告の時間外勤務は、学年末テスト監督表の作成と社会科テスト用紙の作成であった。
Ⅰ 学年末テスト監督表の作成(午後零時二〇分から午後一時三〇分ころまで)について
学年末テスト監督表の作成は、鍋田校長が決定した昭和六三年度学校管理案の学校運営機構によって各学年主任に分掌されており、三年生のテスト監督表の作成は、右鍋田校長の決定により、原告に命じられていたものである。
Ⅱ 社会科テスト用紙の作成について
原告と岩瀬教諭は、同日、原告が冬休み中に作成しておいた社会科テストの素案を基にして、協議のうえテスト問題を確定し、原告において右テスト用紙を印刷した。
社会科テスト用紙の作成は、「第三学期行事予定」(甲第六号証)及び「昭和六四年一月行事予定表」(甲第七号証の一)によって、鍋田校長から、三年生社会科担当の原告及び岩瀬教諭に命ぜられていたものである。
Ⅲ なお、同日の勤務終了時刻は午後零時であったところ、原告の右テスト監督表、社会科テスト用紙の作成が勤務時間外に及んだのは、午前中は始業式、学級指導、職員協議会で時間がなく、学年末テストが翌一月一〇日から一二日までの予定で、社会科のテストが翌一〇日とされていたためである。
② 平成元年一月一〇日
同日の原告の時間外勤務は、学年会によるものであった。
Ⅰ 右学年会では、公立高校の入学試験に向けて評定配分表を作成するとともに、学年末テストの処理日程、三学期の日程など、当面の課題と計画について話し合い、教員間の意思統一を図った。また、新たに導入された複合選抜制度について話し合い、進路指導上の認識を一致させるための論議を行った。
右学年会は、「昭和六四年一月行事予定表」(甲第七号証の一)により、鍋田校長が開催を命じたものであり、右命令に基づいて原告は学年会に出席した。
Ⅱ 右学年会において、当初一月二一日に予定されていた成績交換日を一月一八日に変更したが、これは、昭和六三年一二月二三日に行われた三中進対の席上で、各中学ごとに、志望校別の生徒数を評定順に整理して、平成元年一月二三日の三中進対において報告するものとされたため、右日程を繰り上げたものである。
なお、三中進対とは、大府市校長会の進路指導担当責任者である大府西中学校の岩瀬校長の主催で、大府市内の三中学の進路指導主事と学年主任とが集まり、主として愛知県立大府東高等学校及び同大府高等学校(以下「大府東高校」、「大府高校」という。)の推薦入試の推薦をどの中学に何人割り当てるか、大府東高校への出願者の評定基準をどこまで下げるかを調整し、同校で欠員を出さないようにするために連絡、調整する会である。
③ 平成元年一月一一日
同日の原告の時間外勤務は、学年会によるものであった。
右学年会においては、私立高等学校(以下「私立高校」ともいう。)推薦入試志願者の調査書の作成、同入学願書の点検及び同志願者名簿の作成を行った。
Ⅰ 右調査書の作成について
学校教育法施行規則第五四条の三は、「校長は、中学校卒業後、高等学校、高等専門学校その他の学校に進学しようとする生徒のある場合には、調査書その他必要な書類をその生徒の進学しようとする学校の校長宛送付しなければならない。」と規定しているところ、右調査書はクラス担任の教員等が必要とされる事項を記入し、校長が記入内容を確認したうえ学校長職印を押捺することとなっているから、右調査書の作成及びこれらを志願先の私立高校別の封筒へ仕分ける作業は、鍋田校長の命令により、同校長が行うべき事務を代行したものにほかならない。
Ⅱ 右入学願書の点検作業について
右入学願書の点検作業についても、調査書との対照作業が不可欠であること、大府北中では鍋田校長の方針により、私立高校推薦入試については、調査書と入学願書を同時に志願先高校に送付する扱いとされており、調査書の送付作業に伴って入学願書の点検を要することになっていたことからすると、入学願書の点検作業も、鍋田校長の職務を代行したものといえる。
Ⅲ 右私立高校推薦入試志願者名簿の作成について
各私立高校受験者の合否判定結果は、出身中学校の校長あてに通知されることとされているところ、私立高校推薦入試志願者名簿は、校長が通知された合否判定の結果を記録するためのものであり、同推薦制度が導入された昭和六〇年以来、校長の方針により作成が義務づけられているものである。
また、校長は、各年度ごとに、その年の進路指導の結果を、「進路指導補助事業報告書」及び「卒業者名簿」にまとめて大府市教育委員会に報告することとされており、私立高校推薦入試志願者名簿はその原資料となるものである。
したがって、鍋田校長は、自らの職務遂行に必要な右名簿の作成を、学年主任である原告及び進路指導主事である都築教諭に命じたものである。
Ⅳ 大府北中では、私立高校推薦入試の願書提出日を一月一三日及び同月一四日に予定していたところ、同月一二日には私立高校等受験者のための面接指導が予定されていたため、私立高校推薦入試に関わる調査書の作成、入学願書の点検及びこれらの仕分け作業は、この日のうちに完了しておかなければならなかった。
Ⅴ 大府北中の学校長職印について
教頭は、校長に代わって大府北中の学校長職印を管理している者であるところ、同日午後四時ころ、右職印を原告に手渡し、右ⅠないしⅢの作業の代行を原告に命じた。
大府市教育委員会公印規則第三条の五は、大府北中の学校長職印について、「勤務時間外、勤務を要しない日及び休日にあっては、封印または施錠しておかなければならない。」と規定しているところ、鍋田校長及び教頭は、勤務時間外になってもこれを回収することなく帰宅したのであるから、鍋田校長らは、右作業が勤務時間外に及ぶことを十分承知のうえ、原告ら三年生担当の教員に右作業を命じたものといえる。
④ 平成元年一月一二日
同日の原告の時間外勤務は、学年末テストの採点によるものであった。
原告は、鍋田校長のテスト実施命令に基づき、テストの採点を行った。原告が、同日、テストの採点を行ったのは、鍋田校長が、「昭和六四年一月行事予定表」(甲第七号証の一)において、成績交換の期限を一月二〇日までと定めていたためである。
⑤ 平成元年一月一三日
同日の原告の時間外勤務は、テスト採点の続きと、その後に都築教諭と共同して行った私立高校推薦入試受験票の整理及びその受験番号を記録する作業であった。
⑥ 平成元年一月一四日
同日の原告の時間外勤務は、私立高校推薦入試志願者名簿の作成であった。
右名簿の作成作業は、平成元年度の私立高校推薦入試・同一般入試の日程、国公立高校の入試日程及び三学期の三年生の学校行事等の日程からみて、この日のうちに処理しておく必要があった。
⑦ 平成元年一月一七日
同日の原告の時間外勤務は、運営委員会と学年会によるものであった。
Ⅰ 運営委員会(午後五時ころから午後六時三〇分ころまで)について
運営委員会は、校長、教頭、教務主任、校務主任、各学年の学年主任、保健主事、生徒指導主事及び三〇才以下の教員の代表と女性教員の代表各一名で構成されており、その任務は、職員協議会の円滑な進行を図るために職員協議会の議題をあらかじめ調整することである。
この日の運営委員会は、同日開催された道徳研究全体会終了後、鍋田校長が行事予定表に基づいて開催したものであり、主として二月の行事計画と三学期の教育相談の原案についての審議がなされた。
被告は、右運営委員会が勤務時間外に及んだ場合には退席が自由であったと主張するが、運営委員会における行事予定表の審議(調整)は、全校的行事と学年行事の審議(調整)が中心課題となるため、学年主任である原告が途中退席すれば、運営委員会の審議(調整)に重大な支障を来すことは明白であり、原告が退出する余地はなかった。
Ⅱ 学年会について
学年会は、右運営委員会と同時間帯に開催されており、私立高校一般入試の進学事務処理日程や、公立高校入試の調査書の記入の仕方を打ち合わせていたが、原告は、右運営委員会終了後右学年会に出席し、都築教諭とともに調査書の記入の仕方について説明した。
原告が右学年会に出席したのは、鍋田校長が、原告に対し、昭和六三年一〇月二二日開催の「昭和六四年度愛知県公立高等学校入学者選抜実施要項」の説明会に校長の代理として出席し、必要に応じ、調査書記入の原則について各教員に説明するよう命令したためである。
⑧ 平成元年一月一八日
同日の原告の時間外勤務は、各クラス担任が作成してきた私立高校一般入試の志願者名簿の確認作業、同志願者の入学願書を志望高校ごとに仕分ける作業及び同日行われた私立高校一般入試受験者の面接指導の結果の集約であった。
Ⅰ 右志願者名簿は、私立高校推薦入試志願者名簿と同様に、校長が各私立高校から送られてくる合否判定の結果を記録する原簿となり、校長が各年度末に大府市教育委員会に提出する「進路指導補助事業報告書」と「卒業者名簿」の原資料となるものであるから、鍋田校長は、自らの職務遂行に必要な右志願者名簿の作成を原告及び都築教諭に命じていたものである。
Ⅱ 同日の作業は、一月二〇日に予定されていた調査書作成に欠かせないものであったため、各生徒から担任への入学願書の提出期限である一月一八日に直ちに行わなければならなかった。
⑨ 平成元年一月一九日
同日の原告の時間外勤務は、都築教諭が行った私立高校推薦入試志願者数の集約の補助と、その結果の確認及び各教科の学習の記録一覧表の取りまとめ作業であった。
Ⅰ 私立高校推薦入試志願者数の集約について
同月二〇日に予定されていた私立高校推薦入試のJR共和駅駅頭での受験生の指導は、毎年校長の命令によって実施されているものであり、同入試の受験者数の集約はこれに備えるものである。
Ⅱ 各教科の学習の記録一覧表の取りまとめについて
各教科の学習の記録一覧表の取りまとめ作業は、各クラス担任が作成した学習の記録一覧表を事前指導後に原告が受け取り、三年生九クラス分をまとめて教務主任に提出するものである。
大府北中では、校長が評定権者として評定の確定をするから、鍋田校長は、学年主任である原告に対し、三年生の学習の記録一覧表を取りまとめて提出するように命じたものである。
学習の記録一覧表は、当初、一月二三日に提出予定とされていたが、文部省調査官の学校訪問日が変更になったため日程が繰り上がり、鍋田校長は同日中に提出するように命じた。
⑩ 平成元年一月二〇日
翌一月二一日(土曜日)の午後に道徳の研究授業と文部省調査官の指導及び講演が予定されていたため、同日は、振替えにより土曜日扱いとされ、勤務時間は午後零時二〇分までであった。
同日の原告の時間外勤務は学年会によるものであり、原告らは私立高校一般入試の調査書の作成と入学願書の点検作業をした。
教頭は、原告に対し、右調査書の作成のために学校長職印を手渡し、本来校長の仕事とされている学校長職印の押捺を委任するとともに、時間外勤務を命じたものである。
また、右の調査書の作成、入学願書の記入内容の点検及び各私立高校ごとに調査書を仕分ける作業は、学校教育法施行規則第五四条の三の定めにより本来校長が行うべきものであり、いずれも鍋田校長の命令によって、原告ら三年生担当教員が代行したものである。
⑪ 平成元年一月二一日
同日の原告の時間外勤務は、公立高校進学指導基準案の作成によるものであった。
右進学指導基準案は、各公立高校の合格最低ラインを、九教科の評定合計数値と業者テストの点数の双方から示すもので、各クラス担任の進学指導の手引となるものであり、原告及び都築教諭は、鍋田校長から、昭和六三年一二月二二日の第一回進学指導委員会において、その早期作成を命じられていた。
原告らがこの日に右進学指導基準案を完成させなければならなかったのは、一月五日に実施された新統テスト(業者テスト)の尾張地方分の結果が一月一八日に、西三河地方分の結果が一月二〇日に大府北中に届いたこと、右進学指導基準案の作成には数名の教員による数時間の継続作業が必要であったこと及び一月二四日開催予定の第二回進学指導委員会において右進学指導基準案を審議することとされていたためである。
⑫ 平成元年一月二三日
同日の原告の時間外勤務は、職員協議会、道徳研究全体会及び学年会によるものであった。
Ⅰ 同日の職員協議会の主な協議内容は、二月の行事予定と三学期の教育相談の計画であった。
Ⅱ 同日の道徳研究全体会(午後五時四〇分ころまで)では、同月二一日に行われた文部省調査官の指導内容をどのようにとらえ、今後の研究をどのように推進していくかについての協議が行なわれた。
鍋田校長は、会議が勤務時間外に及んでも、原告らの意向を確認する等の措置を講ぜず、そのまま会議を続行した。
Ⅲ 同日の学年会では、原告と都築教諭が、同日行われた三中進対の結果報告をし、一月二一日に作成した公立高校進学指導基準案についての協議を行った。
右はいずれも鍋田校長の命令に基づくものであった。
⑬ 平成元年一月二四日
同日の原告の時間外勤務は、第二回進学指導委員会と学年会によるものであった。
Ⅰ 第二回進学指導委員会(午後四時一〇分ころから午後八時ころまで)について
進学指導委員会は、昭和六四年度愛知県公立高等学校入学者選抜実施要項により、公立高校入学志願者の調査書の作成を任務とするものであり、その委員は、鍋田校長が、教頭、進路指導主事、学年主任、学級担任及びその他の教員の中から適宜の人数を選任するものとされている。
第二回進学指導委員会は、鍋田校長の命により開催されたものであり、同校長の命によって原告が司会を務め、原告と都築教諭が今年度の進学動向について説明した後、前記公立高校進学指導基準案について審議し、これを確定した。
鍋田校長は、会議が勤務時間外に及んでも原告ら委員の意向を確認する等の措置を講ぜず、会議を続行した。
また、会議が勤務時間外に及んだからといって、原案作成に関わった原告が会議の途中から退出すれば、右進学指導基準案の説明は極めて不十分なものとなり、会議の目的を達成することができず、翌二五日から開催される保護者会の実施や、その後の進学指導に重大な支障を及ぼすことは明らかであった。
Ⅱ 学年会について
右第二回進学指導委員会の閉会に当たり、鍋田校長が、翌日からの保護者会の準備に遺漏なきように原告ら三年生担当教員に命令したことから、原告らは、右命令に基づいて直ちに学年会を開き、著しく進学指導基準案から逸脱している生徒の第一志望校と第二志望校の組合せ方法及び保護者との懇談の仕方を協議した。
保護者会は、第三学期行事予定(甲第六号証)、昭和六四年一月行事予定表(甲第七号証の一)により、同月二五日からの実施が命令されていたため、同日中に学年会を開催する必要があった。
⑭ 平成元年一月二五日ないし二七日
右期間中の原告の時間外勤務は、保護者会に伴なう職員室での待機と学年会によるものであった。
Ⅰ 保護者会に伴う職員室での待機
保護者会は、第三学期行事予定(甲第六号証)、昭和六四年一月行事予定表(甲第七号証の一)により、鍋田校長が実施を命令したものである。
一月二五日、二六日において、原告の勤務が時間外に及んだのは、幾つかのクラスで保護者会が長引いたことによるが、鍋田校長は、複合選抜制度によって保護者会が長時間を要し、時間外に及ぶことを当然に予想できた。
原告は、学年主任として、保護者会で問題が生じた場合には調整や助言に当たるべき立場にあったことから、鍋田校長の保護者会実施命令には、原告が保護者会終了時まで待機することが当然に含まれていた。
また、鍋田校長は、原告に対し、一月二五日、二六日の勤務時間終了後、保護者会の進捗状況の報告を求め、後事を託して下校しており、右は、原告に対し、時間外勤務を命じたものにほかならない。
なお、原告は、一月二六日の待機中に、私立高校一般入試日の指導計画の作成作業に着手した。
Ⅱ 一月二七日の学年会について
同日の学年会においては、公立高校推薦入試受検希望者の確認、同一般入試の志望高校変動の確認、私立高校一般入試当日の指導計画についての審議がなされた。
右公立高校推薦入試受検希望者の確認作業は、推薦決定権を有する鍋田校長が推薦を決定するのに不可欠の作業であるから、鍋田校長の命令によりその職務を代行したものである。
この日に右作業を行ったのは、二月二日に予定されている推薦委員会に推薦書の原案を提出する必要があり、この日のうちに推薦入試受検希望者の確認をしておく必要があったからである。
公立高校一般入試の志望高校変動の確認作業は、第一回進学指導委員会において、鍋田校長が命じた昭和六三年度の進学指導方針を徹底するためには不可欠の作業であり、第三回進学指導委員会に提出が命じられていた公立高校志願者名簿作成のために必要な作業である。
私立高校の一般入試日の指導計画は、翌二八日の事前指導計画を含むものであり、この日のうちに協議することが必要であった。
⑮ 平成元年一月二八日
同日の原告の時間外勤務は、私立高校一般入試受験者に対する事前指導と、進学指導の準備作業であった。
Ⅰ 私立高校一般入試受験者に対する事前指導について
右の事前指導は、校長の命令によって毎年実施されてきたものである。
右事前指導が勤務時間終了後に開催されたのは、同日、生徒の委員会活動が午後零時二〇分まで行われ、事前指導を受けなくてはならない生徒の中に、右委員会へ出席しなければならない生徒が多数いたためである。
Ⅱ 進学指導の準備作業について
原告は、同日、刈谷、大府東、刈谷北及び大府の各県立高校を組み合わせて志願している生徒のリストを用いて、第二志望校である大府東及び大府高校にこれらの生徒のうち何名くらいが流れるかを予測し、三中進対で確認されている大府東及び大府高校への割当て入学者を確保するためには、他に何名程度の志願変更を必要とするかを検討した。
右の各県立高校ごとの志望状況の検討は、校長が決定した「昭和六四年度の入試の指導方針について」(甲第九号証)を実施するために必要な作業である。また、鍋田校長は、一月二三日に開催された三中進対での申合せ事項を徹底するよう命じており、右の作業は、そのためにも不可欠の作業であり、鍋田校長の命令によるものである。
⑯ 平成元年一月三〇日
同日の原告の時間外勤務は、道徳研究全体会と学年会によるものであった。
Ⅰ 道徳研究全体会(午後三時四〇分から午後六時まで)について
同日の道徳研究全体会では、研究企画部会から、これまでのスケジュールを大幅に変更する三学期の研究活動計画案が提示された。これは、文部省の学習指導要領が改訂され、道徳の指導項目がこれまでの一六項目から二二項目に増加されることに対応するため、二月中旬から三月下旬にかけて集中的に研究活動を行うことにしたものである。
右道徳研究全体会は午後六時ころまで行われたが、主催者である鍋田校長は、勤務時間外に及んでも特に退出を許すことを宣言したり、参加者の意向を確認する措置をとらず、漫然会議を続行し、原告らに時間外勤務を命じた。
なお、三年生担当の教員は、同日、学年会を開催する必要があったが、三年生担当の教員がすべて退出すれば、右道徳研究全体会が成立しないことは明らかであった。
Ⅱ 学年会について
同日の学年会では、昨年度使用した公立高校推薦基準を今年も使用することを確認し、これに基づいて加点・減点事由を四〇名ないし五〇名について個々に論議し、また、推薦書の下書きの一部を読み合わせて意見交換を行った。
公立高校推薦基準及び公立高校推薦入試の推薦書の記入方法についての協議は、いずれも推薦決定権を有し、推薦書の作成者である鍋田校長の事務を代行するものであり、同校長の命令に基づくものである。
なお、推薦委員会は同年二月二日に開催することが予定されており、一月三〇日に右の作業をしておく必要があった。
⑰ 平成元年一月三一日
同日の原告の時間外勤務は、各教科の担当教員がした生徒の成績評定が評定配分表に従って正しく行われているか否か、また、各クラスの担任が右評定を正しく評定一覧表に転記しているか否かの確認であった。
右の確認作業は、昭和六四年度愛知県公立高等学校入学者選抜実施要項(甲第五号証)が要求している学習成績等評定一覧表作成の基礎作業となるものであり、右学習成績等評定一覧表は、鍋田校長が記載事項に誤りのないことを確認したうえで学校長職印を押捺して完成することとされているから、原告の右確認作業は、鍋田校長の命令により、同校長がなすべき作業を代行したものである。
なお、右の確認作業は、各クラス担任が調査書の作成作業に取りかかる前にしておく必要があった。
⑱ 平成元年二月一日
同日の原告の時間外勤務は、学年会によるものであった。
右学年会は、三年生担当の全教員が参加し、公立高校推薦入試受検希望者七三名について、推薦入試基準表に基づき、各生徒の行動及び活動の成果を一つ一つ評価した。
右の公立高校推薦入試受検希望者の評価点の確定作業は、鍋田校長が原告及び都築教諭に命じたものであり、翌二月二日開催予定の推薦委員会において必要とされていたものである。
なお、公立高校推薦入試受検希望者が確定したのは、保護者会が終了した一月二七日であり、その後、志望変更の勧誘を待つ必要があったことから、推薦委員会の前日であるこの日に右作業を行わざるを得なかったものである。
また、七三名の生徒各人の評価点を定める作業は時間を要するものであるから、作業を午後四時から開始しても、勤務時間外に及ぶことは避けられなかった。
⑲ 平成元年二月二日
同日の原告の時間外勤務は、推薦委員会と学年会によるものであった。
Ⅰ 推薦委員会(午後四時から午後七時四〇分まで)について
推薦委員会は、昭和六四年度愛知県公立高等学校入学者選抜実施要項に基づいて、推薦権限を有する校長の命により設置されたものであり、校長、教頭、教務主任、校務主任、保健主事、生徒指導主事及び三年生担当の全教員を構成員とし、推薦を申し出た生徒全員について、推薦が妥当か否かを審議し推薦者を決定することを目的とするものである。
同日の推薦委員会では、推薦入試受検を希望する生徒一人一人について、各担任がその性格、行動、学習態度等について報告した後、他の委員が意見を述べ、その後に鍋田校長が推薦の可否を決定した。
鍋田校長は、推薦委員会が勤務時間外に及んでも、原告ら委員の意向を確認する等の措置を講ずることなく会議を続行し、午後七時四〇分ころ、推薦委員会の閉会を宣言した。
Ⅱ 学年会について
鍋田校長は、右推薦委員会の閉会に当たり、推薦書原案中の推薦文の表現が稚拙であると指摘し、学年主任である原告に対し、三年生担当教員と協議して推薦文を練り直すよう命令した。
そこで、推薦委員会閉会後直ちに学年会を開催し、右の作業を行うとともに、公立高校推薦入試の事務処理日程、すなわち推薦書、調査書の完成期日及び入学願書提出日等についての協議を行った。
⑳ 平成元年二月三日
同日の原告の時間外勤務は、学年会によるものであった。
右学年会では、推薦文の練り直しの続行を行った。
推薦書は、推薦権限を有する鍋田校長が作成し、各生徒の志願先高等学校長あて送付すべき書類であるから(学校教育法施行規則第五四条の三)、右の推薦文の練り直し作業は、鍋田校長の命令により、同校長の職務を代行したものにほかならない。
平成元年二月六日
同日の原告の時間外勤務は、面接指導によるものであった。
同日は、公立高校推薦入試受検志望者及び公立高校のみの受検志望について面接指導を行った。当初の予定では、原告は直接面接指導に当たらないことになっていたが、鍋田校長が急に出張することになったため、原告がそのうち七名について面接指導を行った。
右面接指導は、平成元年二月行事予定表(甲第七号証の二)により、この日に行うよう命ぜられていたものである。
面接担当教員から結果の報告を受け、今後の受検指導に生かすためには、その結果を集約して各クラス担任に伝達することが不可欠であり、これは学年主任としての本来の職務に属するものであるから、面接指導に対する右命令には、その結果の集約及びこれを伝達すべきことが当然に含まれている。
原告は、各面接指導担当教員の面接指導がすべて終了するのを待って帰宅したが、報告を受けるためには勤務が時間外に及ぶことは避けられなかった。
平成元年二月七日
同日の原告の時間外勤務は、道徳研究実践部会と学年会によるものであった。
Ⅰ 道徳研究実践部会(午後四時から午後五時三〇分まで)について
鍋田校長は、道徳研究部会をこの日一斉に開催するよう命じ、各部会構成員に出席を命じたことから、原告は、右命令により実践部会に出席した。
右実践部会では、今後の研究の方向と当面の研究推進の確認がなされた。
Ⅱ 学年会について
右学年会では、二月九日に予定されている第三回進学指導委員会に備えて、公立高校志願者名簿の作成を開始することになり、まず最初にコンピューターに入力されている生徒の志望高校名の確認を行った。
右学年会は、平成元年二月行事予定表(甲第七号証の二)により、鍋田校長が開催を命じたものである。道徳研究実践部会の終了が勤務時間外に及んだため、学年会も勤務時間外の開催となった。
平成元年二月八日
同日の原告の時間外勤務は、学年会によるものであった。
右学年会では、公立高校推薦入試の願書、推薦書及び調査書の取りまとめ作業、公立高校志願者名簿の作成作業の続き、右願書の提出に赴く教員の配置の決定がなされた。
右公立高校推薦入試の願書、推薦書及び調査書の取りまとめ作業は、鍋田校長の職務(学校教育法施行規則第五四条の三)であるから、右作業は、原告らが鍋田校長の命令により同校長の職務を代行したものである。
また、公立高校志願者名簿の作成作業は、進路指導部三年生担当に対して命じられていたものであり、第三回進学指導委員会が翌二月九日に予定されていたために、この日のうちに名簿完成のめどを立てておかなければならなかった。
平成元年二月九日
同日の原告の時間外勤務は、第三回進学指導委員会と学年会によるものであった。
Ⅰ 第三回進学指導委員会(午後四時から午後九時三〇分まで)について
右の第三回進学指導委員会は、鍋田校長が進学指導委員に出席を命じて開催されたものであり、原告は、鍋田校長から司会を命ぜられた。
右の会議では、公立高校全日制受検志望者二八二名と同定時制受検志望者九名について、各高校ごとに、前記進学指導基準により、合格の可能性があるか否かを一人一人審議した。
鍋田校長は、会議が勤務時間外に及んでも、原告ら委員の意向を確認する等の措置を講ずることなく会議を続行し、午後九時二〇分過ぎに閉会宣言をした。
Ⅱ 学年会について
右第三回進学指導委員会の閉会に当たり、鍋田校長は、生徒の問題行動が多くなってきていることに憂慮している旨を述べ、生徒指導においても遺漏なきよう原告を含む三年生担当の教員に命令した。
同日開催された学年会は、鍋田校長の進学指導の実践命令及び右の閉会時の命令に基づいて、進学指導委員会終了後直ちに開催されたものである。
右学年会では、右進学指導委員会で△(不合格になる可能性があるから一ランク低位の高校にしたほうがよい。)、×(合格する可能性は低いから志望高校を変更せよ。)と判定された生徒合計九八名について、各担任が今後の指導の見通しを報告し、三年生担当の全教員がこれを確認すること及び二月七日に発覚した生徒Aによる非行の概要の報告と事件関係生徒に対する学年としての当面の指導方針の確認がなされた。
平成元年二月一〇日
同日の原告の時間外勤務は、生徒Aの非行に伴う家庭訪問によるものであった。
原告が小林教諭とともに右の家庭訪問に出かけたのは、教頭の命令によるものである。
なお、原告は、右の時間外勤務については、違法な時間外勤務に含めていない。
平成元年二月一三日
同日の原告の時間外勤務は、第四回進学指導委員会と学年会によるものであった。
Ⅰ 第四回進学指導委員会(午後四時二〇分ころから午後七時ころまで)について
右の第四回進学指導委員会は、第三学期行事予定(甲第六号証)及び平成元年二月行事予定表(甲第七号証の二)により、鍋田校長が、進学指導委員に出席を命じて開催されたものである。
右進学指導委員会では、公立高校一般入試受検希望者二四五名分、定時制受検希望者九名分、合計二五四名分の調査書の記入内容を審議して、これを決定した。
したがって、勤務時間内にこれを処理することができないのは明白であったが、鍋田校長は、右の審議を勤務時間内に終わらせるような日程上の措置をとらず、会議が勤務時間外に及んでも、原告ら委員の意向を確認する等の措置を講じることなく、会議を続行した。
Ⅱ 学年会について
右学年会は、右進学指導委員会において、調査書の矯正視力欄の未記入部分の補充等を学年会で行うことが決定されたことに基づき、右進学指導委員会終了後直ちに開催されたものであり、調査書完成までの日程についても協議が行われた。
平成元年二月一四日
同日の原告の時間外勤務は、同日以降の社会科の授業時間数等を確認し、今後の指導計画をまとめることであった。
原告の社会科の指導内容の検討が勤務時間外に及んだのは、授業準備や指導内容の検討に当てるべき空き時間を、生徒Aに対する特別な指導や、三年生の学年主任として進学関連業務の処理に当てざるを得なかったためである。
平成元年二月一五日
同日の原告の時間外勤務は、家庭裁判所の審判への立会いとその結果報告によるものであった。
Ⅰ 家庭裁判所の審判への立会い及びその報告について
東海警察署の警察官が、鍋田校長に対し、生徒Aの審判に立ち会うべき教員の派遣を要請したため、鍋田校長は、原告に対し、右の立会人として名古屋家庭裁判所に赴くよう命令した。
原告が、右の生徒Aが受けた措置を早急に鍋田校長に報告することは、大府北中の生徒指導の方針であった。
なお、原告は、右の時間外勤務については、違法な時間外勤務に含めていない。
Ⅱ 同日は、公立高校一般入試の入学願書を完成させる作業が予定されていたが、右Ⅰのとおり、原告が急きょ東海警察署に出張することになったため、右作業は翌二月一六日に行うことに予定変更された。
平成元年二月一六日
同日の原告の時間外勤務は、三年生の月に一度の道徳研究会と学年会によるものであった。
Ⅰ 道徳研究会(午後四時から午後七時まで)について
右道徳研究会は、鍋田校長が決定した二月の研究推進計画に基づいて、同校長が三年生担当の全教員及び一、二年の授業研究部所属の教員に出席を命じて開催されたものであり、原告は右命令により右の道徳研究会に出席した。
Ⅱ 学年会について
右学年会では、翌二月一七日の公立高校一般入試の願書提出のために、右願書の取りまとめ作業をし、各高校ごとに出願に赴く教員の決定をした。
公立高校一般入試の入学願書を完成させる作業は、記載事項に誤りがないことを証明するために学校長職印の捺印が要求されていること、入学願書は、学校教育法施行規則第五四条の三が、校長に対し、進学先校長への送付を義務づけている「その他必要な書類」に該当するものであるから、原告ら三年生担当の教員らが行った右の作業は、鍋田校長の命令により、同校長の職務を代行したものにほかならない。
また、原告は、午後七時五〇分ころ、右作業の開始に当たり、教頭より学校長職印を手渡されたが、右は、鍋田校長より入学願書を本日中に完成させるように命じられたものであり、かつ、教頭より時間外勤務を命じられたものである。
平成元年二月一七日
同日の原告の時間外勤務は、運営委員会と進学事務の処理によるものであった。
Ⅰ 運営委員会(午後四時一〇分ころから午後六時三〇分ころまで)について
右運営委員会の中心議題は、昭和六三年度の卒業式実施案であった。
鍋田校長は、平成元年二月行事予定表(甲一第七号証の二)により、各委員に対して、右運営委員会への出席を命じた。
Ⅱ 進学事務の処理について
原告は、同日、都築教諭と二人で、各教員が入学願書と引換えに受領してきた受検票に基づいて、各公立高校ごとの入学志願者名簿に受検番号を記入した。
右の公立高校入学志願者名簿は、前述の私立高校推薦入試志願者名簿と同じく、校長あてに通知される公立高校一般入試受検者の合否判定の結果を記録する原簿となるものであるから、鍋田校長は、自らの職務遂行に必要な右公立高校入学志願者名簿の作成を、原告と都築教諭に命じたものである。
右事務処理は、各生徒の受検票が必要であるところ、受検票は進路指導の日程上、同月二〇日には各クラス担任に配布する必要があることから、遅くとも同月一八日には右事務処理を終える必要があった。
平成元年二月一八日
同日の原告の時間外勤務は、前日に引き続き、都築教諭と二人で、公立高校入学志願者の受検票の番号を各公立高校ごとの入学志願者名簿に記入することであった。
平成元年二月二〇日
同日の原告の時間外勤務は、道徳研究全体会、卒業・修了認定会議及び学年会によるものであった。
Ⅰ 道徳研究全体会(午後五時二〇分から午後六時一五分まで)について
右道徳研究全体会は、鍋田校長が全教員に出席を命じて開催されたものである。
右道徳研究全体会は勤務時間外に及んだが、今後の研究方針や日程・計画を命じるために行われたものであったから、各教員に途中退出の余地はなかった。
Ⅱ 卒業・修了認定会議(午後六時一五分ころから午後七時五〇分ころまで)について
鍋田校長は、右卒業・修了認定会議に全教員が参加するよう急きょその場で命じた。
卒業・修了認定会議は、年間六〇日以上欠席した生徒について、校長が各担任から欠席の理由を聞き、当該生徒の卒業・修了の認定をするものであり、原告は、学年主任として、クラス担任の説明を補足し、卒業・修了についての意見を具申する任務があった。
Ⅲ 学年会について
右学年会では、調査書を完成し、これを各高校ごとに仕分ける作業が行われた。
右作業は、調査書の作成業務を負う鍋田校長が、原告ら三年生担当の教員に自己の職務を代行させたものである。
原告ら三年生担当の教員が、同日、時間外勤務をしても右作業を完成せざるを得なかったのは、入試関係事務が目白押しになっている中で、同月二二日に調査書を各高校に提出するため、この日に完成させる必要があったからである。
右学年会の開始時に、教頭は、都築教諭に対し、調査書完成に必要な大府北中の学校長職印を手渡したが、これは、教頭が、原告ら三年生担当の教員に、時間外勤務をして調査書を完成するよう命じたものにほかならない。
また、鍋田校長は、午後八時四〇分ころ、原告ら三年生担当の教員が右の作業をしている会議室を訪れ、原告に対し、同日中に調査書を完成させるよう命じた。
平成元年二月二二日
同日の原告の時間外勤務は、道徳研究実践部会と進学関連業務によるものであった。
Ⅰ 道徳研究実践部会(午後四時から午後六時まで)について
鍋田校長は、同日、道徳研究部会を一斉に開催するよう命じ、各部会の構成員に出席を命じており、原告の道徳研究実践部会への出席は右命令によるものであった。
Ⅱ 進学関連業務(出願状況の把握)について
原告は、同日、都築教諭とともに、公立高校一般入試の志願変更に備えて、大府市近辺の中学校の進路指導主事と連絡し合う等して、公立高校一般入試の出願状況の把握に務めた。
原告と都築教諭が右の出願状況の把握に務めたのは、鍋田校長の大府東高校対策のための命令に基づくものである。
志願変動の締切日が二月二五日とされていたため、この日のうちに状況を把握し、手続の準備をする緊急の必要があったためである。
平成元年二月二三日
同日の原告の時間外勤務は、道徳研究実践部会と学年会によるものであった。
Ⅰ 道徳研究実践部会(午後四時から午後五時五〇分まで)について
鍋田校長は、前日に引き続き、道徳研究部会を一斉に開催するよう命じ、各部会の構成員に出席を命じており、原告の道徳研究実践部会への出席は右命令によるものであった。
Ⅱ 学年会について
右学年会は、前日の原告と都築教諭による出願状況の把握結果により、出願者の一部について志願変更をさせる必要が生じたため、その取扱いについて緊急に協議したものである。
平成元年二月二五日
同日の原告の時間外勤務は、志願変更に赴いている父母からの連絡に備え、午後五時の志願変更締切り時間まで職員室で待機するとともに、雨天時の卒業式後の卒業生の見送り案を作成することであった。
右の待機は、進路指導実行命令に含まれているから、鍋田校長の命令に基づくものである。
また、右の卒業生の見送り案の作成は、二月一七日の運営委員会において、鍋田校長より原告に作成が命じられていたものである。
平成元年二月二七日
同日の原告の時間外勤務は、学年会によるものであった。
右学年会では、都築教諭が学習成績等一覧表の作成について説明し、その作成作業に誤りがないよう確認し合った。
学習成績等一覧表は、鍋田校長の作成・送付義務にかかるものであるところ、鍋田校長は、原告に対し、調査書、入学願書、学習成績等一覧表の作成方法を各クラス担任に説明するよう命じていたものである。
学習成績等一覧表の提出日は、同年三月三日とされていたため、同年二月二七日中に各クラス担任に記入方法を徹底しておく必要があった。
平成元年二月二八日
同日の原告の時間外勤務は、生徒指導全体会と学年会によるものであった。
Ⅰ 生徒指導全体会(午後三時五〇分ころから午後六時ころまで)について
右の生徒指導全体会は、非行を繰り返し行っている二年生の生徒が登校してきた場合の学校の対応について協議するために開催されたもので、鍋田校長が全教員に出席を命じたものである。
Ⅱ 学年会について
右の学年会では、三月一日の合唱コンクールについての細部の打合せ、卒業式のための当面の指導の打合せ、卒業記念品贈呈式の持ち方についての協議が行われた。右の卒業式に向けての指導計画の協議は、同月二〇日に職員協議会で決定された卒業式までの行事予定を具体化するためのものであり、鍋田校長が決定した三月の行事の実行において必要とされる打合せであるから、鍋田校長の命令によるものである。
右は、卒業式までの行事が確定した二月二〇日の職員協議会以降、二月二一日は道徳研究全体会(ただし、原告は年次有給休暇)、同二二日は各道徳研究部会、同二三日も各道徳研究部会、同二五日は土曜日で志願変更最終日とされ、同二七日は授業部会と調査部会とされていたために、この日の生徒指導全体会の終了を待って、原告ら三年生担当の教員が学年会を開いたものである。
右学年会が勤務時間外に及んだのは、協議事項が多岐にわたったためである。
(7) 本件時間外勤務のうち、鍋田校長の明示の職務命令に基づくものは右(6)の各項目中に記載したとおりであるが、それ以外の本件時間外勤務も、次に述べるとおり、鍋田校長の黙示の職務命令に基づくものであった。
① 運営委員会、職員協議会、道徳研究全体会、生徒指導全体会、進学指導委員会、推薦委員会及び卒業・修了認定会議について
Ⅰ 右の各会議はいずれも鍋田校長が主催するものであり、各会議の構成員は、やむを得ない支障のある場合を除き、他の校務をやり繰りしてこれに出席すべきものとされていた。
Ⅱ 右各会議の開催日時は、鍋田校長の指示により、あらかじめ行事予定表に記入されるか、あるいは黒板に掲示される等の方法で各構成員に伝達されていた。
Ⅲ 右各会議は概ね授業の終了した放課後に開始され、勤務時間終了後も続行されることが大半であり、ときには勤務時間終了後に召集されることもあったが、鍋田校長は、会議が勤務時間外に及んでも各構成員の意向を確認せず、勤務時間外であるから退出してもよいとの指示もなく、特別な用件がない限り退出する教員はいなかった。
Ⅳ 勤務時間の終了前後により、審議内容、審議方法等の会議の性質、運営には何らの差異もなかった。
Ⅴ 右各会議は、いずれも法令上又は学校管理案や県教委の定める公立高等学校入学者選抜実施要項上の根拠を有する会議であり、当該会議への欠席は、当該教員の教育活動上さまざまな支障が生じるばかりでなく、学校運営上も支障が生じることは明白であった。
Ⅵ 右ⅠないしⅤのとおり、右各会議への出席は極めて強い拘束力を有するものであったから、右各会議が勤務時間外に及んだ場合は、鍋田校長の黙示の職務命令があったものというべきである。
② 学年会及び進学関連業務について
本件時間外勤務を構成する学年会は、ほとんどすべてが平成元年度の高校入学試験に関わるものであった。生徒児童に対して適切な進路指導を行い、受験事務を適確に進めることは、三年生担当教員にとって最も重要な職務であるうえ、受験に伴う各種事務は厳格に時間に拘束されているから、三学期はいずれの中学校においても、三年生担当教員の勤務については最大限の配慮がなされている。
しかるに、当時の大府北中では、道徳研究の日程が最も優先して設定されていたため、原告は、道徳研究の会議終了後に受験に関する事務を行わざるを得なかった。これは、入学試験の日程上、その日のうちに処理しなければならないものがほとんどであり、やむなく時間外勤務をしたものである。
また、入学試験に関わる事務は、その遅れや過誤が生徒の受験を不可能にしかねない重大なものであるから、これが遅滞したりミスが生じれば、学年主任である原告がその責任を問われることは自明である。
したがって、原告が行った右の進学関連業務については、時間外勤務によってこれを処理すべき極めて強い拘束力が働いていたものであるから、鍋田校長の黙示の時間外勤務命令に基づいてなされたものというべきである。
なお、客観的に勤務時間内に処理することができない業務を命じることは、その命令自体が時間外勤務を命じたものとみるべきである。このことは、行政解釈(昭和二五年九月一四日基収二九八三号)も同様に解している。したがって、鍋田校長が命じた進学関連業務が勤務時間内に行うことが不可能なものである以上、鍋田校長は、原告に対して、時間外勤務を命じたものというべきである。
③ テスト採点
テスト採点も、限られた日程の中で終了するためには勤務時間外に行わざるを得なかったから、事実上、時間外勤務を強制されたものである。
④ 被告の主張に対する反論
被告は、本件時間外勤務はすべて原告の自主性、自発性、創造性に基づくものである旨主張している。
ところで、給特法の立法過程において、教職調整額の支給により時間外勤務手当の支給を排除することには強い反対があり、右時間外勤務手当の廃止によって無定量、無限定な時間外勤務が強いられる危険があるとの強い批判があった。給特法が時間外勤務を命じ得る場合を厳しく制限したのは、右の批判を踏まえて時間外勤務の歯止めを講じるためのものであった。
しかるに、被告の主張は、給特法及び給特条例が禁止している時間外勤務をすべて自発的、自主的、創造的な職務遂行とみるものであり、それでは、無定量、無限定な時間外勤務を是認することと同じであって、時間外勤務を厳格に制限した給特法及び給特条例の趣旨が没収されてしまうことになる。
(二) 被告の主張
(1) 以下に述べるとおり、鍋田校長が、原告に対し、職務命令として時間外勤務を命じた事実はない。
① 職員協議会、道徳研究全体会、生徒指導全体会について
職員協議会は学校全体の問題について、道徳研究全体会は道徳教育の研究について、生徒指導全体会は生徒指導の問題について、それぞれ大府北中の教職員全員が協議、研究する校長主催の職員会議であり、これらの会議が勤務時間外にわたる場合、教職員は自由に退出できる慣行になっていた。
なお、職員協議会については、給特条例七条二項により、臨時又は緊急にやむを得ない必要があるときは、校長は、教職員に対し、時間外勤務を命ずることができるのであるが、鍋田校長が時間外勤務命令を出したことはなかった。
② 進学指導委員会、推薦委員会、卒業・修了認定会議について
進学指導委員会は公立高校受検者の調査書作成のために、推薦委員会は推薦入学志願者の中から被推薦者を決定するために、それぞれ校長、教頭、教務主任、校務主任、進路指導主事、保健主事、生徒指導主事、各学年主任、第三学年の各クラス担任等によって組織されている委員会である。また、卒業・修了認定会議は、運営委員会の各委員及びクラス担任によって組織された会議である。
進学指導委員会、推薦委員会、卒業・修了認定会議についても、会議が時間外にわたる場合に自由に退出できることは、職員協議会等の場合と同様である。
原告は、これらの会議について、第三学年の学年主任として出席が義務づけられていた旨主張するが、原告は学級担任を持っているわけではないので、出席の必然性はなく、まして勤務時間外にわたって出席する必要はない。
③ 運営委員会について
運営委員会は、校長、教頭、教務主任、保健主事、生徒指導主事、学年主任等によって構成されており、職員協議会の円滑な進行のために、議題を精選、調整するものである。
なお、運営委員会は、校長が主催するものではなく、各委員の出席は義務づけられていない。
同委員会においても、勤務時間が修了すれば退出は自由であったし、現に原告はこの点を理解し退出していた。
④ 道徳研究の各部会及び月に一度の道徳授業研究会は、いずれも教員の自主的、自発的、専門的、創造的な活動に基づくもので、勤務時間外にわたって行われるか否かについても、自主的に決められていた。
⑤ 学年会、進学関連業務について
原告は、当時第三学年の学年主任であったが、学年主任の職務内容は、当該学年の経営方針の決定や学年行事の計画、実施等、当該学年の教育活動に関する事項について、当該学年の学級担任、他の学年主任、教務主任及び生徒指導主事らとの連絡、調整に当たるとともに、当該学年の学級担任に対する指導、助言を行うものとされている。
そして、第三学年の学年会は、学年主任、学級担任、副担任、進路指導主事によって構成されており、主催者である学年主任が、右の第三学年の教育活動に関する事項について、学級担任と進路指導主事らとの連絡調整を図るため、その裁量に基づき、自発的、創造的に開催する会議であり、学年会開催の要否、時期、議題、進行等はすべて学年主任である原告の判断に基づいて決定されていたのであるから、学年会が勤務時間外にわたるか否かは、原告の裁量の範囲内のことであり、鍋田校長の命令に基づくものではない。
第三学年の進学関連業務の遂行についても、いつ、どのような事務をいかなる方法で実施するか、また、どの程度まで実施するか等は、学年主任である原告の判断に基づいて決定されていたことである。そして、進学関連業務に要する時間は、その計画性や合理化、効率化の工夫によって左右されるし、実際にも、勤務時間外に及ぶことを回避しようと思えば、空き時間の教員に分担させたり、進路指導主事や副担任に任せたりすることも十分可能であったが、原告が自己の裁量により、全教員が集まって遂行する方法を選択したため、勤務時間外に作業をしなければならなくなったにすぎない。
複合選抜制度の導入についても、県教委により、前年度から説明会、シミュレーション等が催され、理解するための十分な時間があったし、願書提出期限、調査書提出期限等の進路日程についても、昭和六三年一〇月ないし一一月には発表されており、日程調整等の事前準備も十分可能であったのであるから、計画的に業務を遂行すれば、本件のような長時間の職務遂行は回避できたといえる。
結局、原告が主張するように職務が勤務時間外に及んだとすれば、それは原告の無秩序、計画性のなさに起因しているといわざるを得ず、鍋田校長に責任はない(過失なし)というべきである。
⑥ 保護者会について
保護者会は保護者と学級担任との懇談会であるから、鍋田校長が、学級担任を持たない原告に対し、職務命令を出すことはない。
⑦ テストの準備及び採点について
テストの準備及び採点は、教員の本来的職務そのものであり、給特法及び給特条例においても当然念頭に置かれていた職務であるし、本来的に個々の教員が担当授業時間外の空き時間に行うものであり、その遂行は個々の教員の裁量にゆだねられており、職務命令とは相容れないものである。
⑧ 原告が時間外勤務を命ぜられたと主張している勤務で、右①ないし⑦以外のもの
私立高校推薦入試志願者の名簿作成及び事前指導、公立高校一般入試の進学指導基準案の作成、入試事前指導、面接指導、受検票確認、調査書の取りまとめ、志願変更確認のための待機等は、いずれも教員の自主的、自発的、専門的、創造的活動に基づくものである。
(2) 仮に、原告が正規の勤務時間外に教員としての職務を遂行していたことがあったとしても、それは教員の職務態様の特殊性に由来するものであり、原告が教師としての自覚に基づき、自主性、自発性、創造性、専門性を発揮してなしたものにほかならない。
すなわち、原告が本件時間外勤務に従事したとして具体的に主張している各事実は、原告の裁量に基づいて勤務時間内に処理し得る業務を勤務時間外に処理したり、同僚教員と協議して時間設定した会議に自発的に出席する等したものにすぎないのである。
なお、原告は、平成元年度以降は、各種会議において、勤務時間を超過する場合は自由に退席していたものであり、このことは、原告が本件時間外勤務に自発的に従事していたことの証左である。
① 教員の職務及び勤務態様の特殊性
教員の職務遂行の範囲は、各教員の相違工夫によりどこまでも広がる無限定な特性を持ち、各教員の教育にかける情熱、生徒に対する熱意や各教員の個性能力によるところが大きい。
したがって、教員の職務遂行は、校長の指示、命令に親しまない性格を有しており、個々の教員の責任感に裏付けられた自主性、自発性、創造性に基づいて行われているとの特徴がある。
すなわち、教員の職務は、未成熟な児童生徒を対象とし、人格の完成を目指してその育成を促す営みであり、全人格的な影響力を持つ職務であって、高度な学問的修練、個性の発達に応じた指導力を必要とし、自発性、創造性に基づく職務の遂行が要求されるものである。そして、そのためには、専門的な知識、技能はもとより、哲学的な理念と確たる信念・責任感・情熱・愛を必要とし、その勤務に対応できるほどに、たゆみなき研修・研鑚が求められるといった特殊性を有し、右特殊性ゆえに、教員の勤務態様、時間管理の面においても、一般の公務員とは非常に異なった側面を有しているものである。
② 給特法・給特条例の趣旨(乙第一号証の九〇頁、第一〇号証の一、二)
Ⅰ 教員の職務は、前述のとおり、一般の行政事務とは異なり、勤務時間の内外を含めて全人格的な自発性、創造性が求められ、教材研究、家庭訪問なども勤務時間の内外を問わず行われる実態にあることや、夏休みのように長期の学校休業期間中の勤務は、児童生徒への直接指導よりも研修その他の勤務が多いこと等から、勤務時間を超えて一定時間働いたことに対して、その時間数に基づき手当を支払うという制度になじまないものと考えられる。そこで、給特法は、正規の勤務時間の内外を問わず教員の勤務を包括的にとらえ、従前の超過勤務手当及び休日給の制度は適用しないものとし、これに替えて新たに俸給相当の性格を有する給与として、俸給月額の四パーセントに相当する額の教職調整額を支給することとし、正規の勤務時間を超えて勤務させる場合を一定の場合に限定した。なお、この教職調整額は、期末手当等諸手当に際しては俸給とされていることから、当然に期末手当等における増額要因として反映し、実質的には約六パーセントの手当措置に相当する。
そして、被告愛知県も、右給特法に基づいて給特条例を制定し、原告ら教職員につき、ほぼ給特法と同様の定めをした。
Ⅱ 右のように、給特法及び給特条例が、教員の勤務を勤務時間の内外を問わず包括的に評価することとした反面、それに伴って教員の超過勤務が多大になることが危惧されたことから、給特法及び給特条例は、正規の勤務時間を超えて勤務させ得る場合を限定した。
しかし、教員の勤務は、上司の指揮命令に基づいて勤務する一般の公務員とは異なり、前記特殊性から教員個々の自発性、創造性に基づいて行われることが期待されており、時間管理についても、教員個々の自主性、自発性にゆだねられているものである。
このように、給特法の制定過程においては、教員の勤務は、そもそも上司の指揮命令になじまない性格のものであるとの考え方が根底にあったものと考えられる。
Ⅲ ところで、校長の発する職務命令は、特定の教員に対して、職務内容、日時、場所等を具体的に指示してなすものであるから、職務命令は明示されることが原則である。
しかし、鍋田校長は、原告に対し、明示の具体的な時間外勤務命令を発していないのであるから、原告の主張する本件時間外勤務は、給特法及び給特条例制定以後にあっては、すべて原告の自発性、創造性に基づくもので、原告の自主的判断によりなされたものと評価せざるを得ない。
原告は、黙示の時間外勤務命令が存在した旨主張するが、教員の勤務は自主性、自発性、創造性に基づくものとの給特法及び給特条例の根本理念からすれば、黙示の時間外勤務命令なる概念は、教員の自主性、自発性、創造性を基本とする職務の特殊性と矛盾し、給特法及び給特条例制定以後は認められていないと解すべきである。確かに、給特法及び給特条例制定以前においては、黙示の時間外勤務命令の概念により教員の超過勤務手当の支給を認めた判例が存在するが、右は給特法及び給特条例の制定により立法的に解決されたものである。
(3) 鍋田校長の学校運営について
① 学校教育における時間配分は、各教員の創意工夫のなかで進められていくものであり、鍋田校長は、以下のとおり、各教員が創意工夫をいかんなく発揮して、自主的、自発的、創造的に職務を遂行し得るような学校運営を心がけていた。
すなわち、各教員の校務分掌については、事前に希望を取って決定し、各種会議の設定についても、それを構成する教員の共通理解、共通認識のうえで決定し、道徳研究についても教員の自主性にゆだねていた。
各学年の運営についても、学年主任を中心とした各学年の自主性にゆだねていたし、学年会が他の学校行事と重ならないように、あらかじめ時間枠を設定していた。
授業終了後に会議が予定されていた場合は、短縮授業にして会議の時間を確保し、勤務時間内に終了するよう配慮するとともに、各種会議が勤務時間内に終了しない場合には、所用のある教員の退出を認め、それに伴う不利益も一切与えず、勤務時間を意識した会議運営を行っていた。
原告に対しても、複合選抜制度導入の年でもあり、進路指導を積極的に推進してもらうために、学級担任を持たせず、道徳研究については負担を軽減し、担当する教科の授業時間数についても原告の希望を最優先させた。
② これに対し、原告は、第三学年の学年主任として、森岡道徳研究主任、早川教務主任及び他の学年主任等と連絡調整して、進学関連業務の時間を確保し得る地位にあったのに、一切それをなさなかった。また、原告は、学年主任として運営委員会の構成員であったから、同会の席上で、予定されている学校運営の時間配分について意見を述べることも可能であったが、そこでも原告は一切意見あるいは異議を述べなかった。このように、原告は、当時予定されていた学校運営の時間配分を十分理解し了解したうえで、進学関連業務を遂行していたものであるから、原告が主張する本件時間外勤務は、原告の自主性、自発性、創造性に基づくものと評価せざるを得ない。
(4) まとめ
以上のとおり、学年会を除く各種会議については、勤務時間外にわたった場合は自由に退席することができたし、それによって不利益を受けるわけでもなく、また、学年会や進学関連業務については、計画的な運営を行うことにより、あるいは、作業を分担する等の合理的な方法をとることによって勤務時間外に及ぶことを回避し得たし、仮にどうしてもできないというのであれば、道徳研究主任、教務主任、他の学年主任らと事前に日程調整をして職務遂行時間を確保することも十分できたわけであるから、原告主張の本件時間外勤務は、いずれも原告の自主性、自発性、創造性に基づくものであり、鍋田校長の職務命令に基づくものではないし、少なくとも原告の自由意思を強く拘束するような状態ではなかったというべきである。
2 争点2について
(一) 原告の主張
(1) 鍋田校長の管理義務懈怠
原告は、次に述べる鍋田校長の管理義務懈怠により、恒常的に長時間の時間外勤務を強いられ、そのため教師本来の教育活動を損なわれるとともに、健康と福祉を害されたものであるが、鍋田校長は、右の事実を知っていたか、あるいは重大な過失によってこれを知らなかったものである。
① 鍋田校長は、校務をつかさどり所属職員を監督するものとして、所属職員の勤務を適正に管理する義務がある。すなわち、鍋田校長は、正規の勤務時間の割振りを適正に行い、時間外勤務を命じないようにしなければならなかった。
しかるに、鍋田校長は、原告が複合選抜制度の導入により長時間の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあることを知りながら、漫然これを放置し、違法な時間外勤務を命じたものであるから、故意責任がある。
また、鍋田校長は、正規の勤務時間の割振りも行わなかったから、給特条例七条一項に違反する重大な過失がある。
② 鍋田校長は、道徳研究を大府北中の最重要課題とし、三年生の進学関連業務が最も繁忙となる三学期においても、原告ら三年生担当教員に何の配慮もせず、一律に道徳研究への参加を義務づけた。
そのため、原告は、右の道徳研究会の終了後に進学関連業務を行わざるを得ず、長時間の時間外勤務をいっそう加重された。
また、鍋田校長は、進路指導主事の都築教諭を道徳研究の家庭地域連携部長に、三年生担任の茅野教諭を環境情報部の部長に任命したため、進学関連業務の責任や負担が原告にいっそう集中するとともに、進学関連業務の処理日程の確保に困難を来した。
③ 鍋田校長は、三年生の学年主任が進学関連業務により他の学年主任に比べて繁忙であることを知りながら、原告の授業時間数を軽減する等の適切な措置をとらなかった。
すなわち、一年生の中川学年主任と二年生の安井学年主任の一週間の授業時間数はいずれも一七時間であり、原告の一九時間よりも少なかった。これは、森岡道徳研究主任の授業時間数を格段に軽減したため、社会科担当の早川教諭が森岡教諭の担当する美術科の授業の一部を担当することになり、そのために社会科担当の原告の授業時間数が加重されたものである。
④ 鍋田校長は、自らの職責である入学願書、調査書等の受験に伴う各種書類の点検、収入印紙の貼付、学校長職印の押印等の職務を原告ら三年生担当の教員に代行させ、原告の時間外勤務をさらに加重した。
⑤ 鍋田校長は、道徳研究全体会、卒業・修了認定会議、進学指導委員会、推薦委員会等の各会議を勤務時間終了後に開催したり、あるいは勤務時間終了間際から開催し、原告の時間外勤務をさらに加重した。
⑥ 鍋田校長は、原告が、三年生の半数以上が登校しない私立高校一般入試日の午後から進学関連業務に専念できるような配慮を求めても、これを拒否し、原告の時間外勤務を加重した。
⑦ 鍋田校長は、平成元年一月に文部省調査官の学校訪問を要請し特別授業を行う旨決定したが、原告ら三年生担当教員の進学関連業務に配慮して、右文部省調査官の要請訪問をこの時期に行わず、あるいは原告ら三年生担当教員の右特別授業等への出席を免除すれば、原告の時間外勤務は相当に軽減されたはずである。
(2) 被告愛知県の管理義務懈怠
① 給特法及び給特条例は、正規の勤務時間の割振りを適正に行うことによって、時間外勤務を命じないものと規定しており、勤務の総量が正規の勤務時間の割振りを適正に行うことによって時間外勤務を解消できる範囲にとどまることを前提としている。勤務の総量を右水準にとどめるためには、まず雑務の排除が実行されねばならないところ、被告愛知県は、教員の雑務がますます膨大化している現状を放置し、本来教員が行うべき理由のない雑務に教員を従事させ続けている。
しかも、被告愛知県は、入学試験制度として従来の制度に比して格段に複雑な進学指導と進学事務を要する複合選抜制度を導入し、中学校教員の負担を飛躍的に増大させた。右負担は、正規の勤務時間の割振りを適正に行うだけでは到底解消できない時間外勤務を生じさせることは明らかであり、被告愛知県は、かかる時間外勤務を解消するに足りる教職員の定数配置を怠り、漫然、複合選抜制度を導入したものである。
② 被告愛知県は、鍋田校長が道徳教育に偏重した学校運営をして、平常の学校業務を大きく圧迫していることを知り、あるいは容易にこれを知ることができたにもかかわらず、何らこれを是正しようとせず、かえって、再三にわたり指導主事等の要職者を派遣して、本件道徳研究の過熱化に拍車をかけ、原告の時間外勤務をいっそう過重なものとした。
③ 被告愛知県は、道徳研究主任であった森岡教諭(美術科担当)の授業時間数の軽減を目的としてなされた早川教諭(社会科担当)の美術の臨時免許申請を許可することにより、道徳研究に偏重した鍋田校長の学校運営を助長し、社会科担当教員であり学年主任であった原告の時間外勤務を加重した。
④ 右のとおり、被告愛知県は、複合選抜制度の導入によって著しく加重された進学事務や進学指導を原告に課したうえ、道徳研究を偏重する大府北中の学校運営を是正することなく助長し、原告をして長時間、恒常的でかつ拘束力の強い時間外勤務に従事せしめたものであり、原告の教育的活動を阻害して教育の自由を侵害し、原告の健康と福祉を侵害することについて重大な過失があったものである。
(二) 被告の主張
原告の主張はすべて否認ないし争う。
争点1において主張した鍋田校長の学校運営における各種配慮及び原告の時間外勤務の実態からすれば、鍋田校長あるいは被告らに、国家賠償法上の損害賠償義務を生ずるような違法性(故意、過失)はないというべきである。
仮に、原告主張の時間外勤務が給特法ないし給特条例に違反するとしても、自発性、創造性が要求される教員の職務の特殊性に鑑み、原告が他の教職員に比べて差別的、意図的に著しく不当かつ過重な校務分掌を命ぜられ、その結果、他の教職員に比べて著しく時間外勤務に従事した等の特段の事情があればともかく、そうでない以上、即座に国家賠償法上の違法となるものではない。
第三 主な争点に対する判断
一 争点に対する判断のための前提事実
第二の一に摘示した争いのない事実等及び証拠(各認定事実の冒頭の括弧内に当該事実の認定に供した証拠を掲記した。)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 昭和六三年度の原告の職務分掌等(甲第一、第一二、第一〇八号証、乙第二、第三、第六号証、証人鍋田寛の証言、原告本人尋問の結果)
(一) 鍋田校長は、各教員が自己の職務を意欲的、自主的に遂行してくれることを期待し、そのような学校運営を心がけていた。
そして、鍋田校長は、大府北中における昭和六三年度の校務分掌について、昭和六三年二月ないし三月ころ、各教員に対して希望調査を行い、その結果を集計、調整して全体計画案を策定し、希望と異なる教員に対しては、鍋田校長や教頭、早川教務主任らが面談するなどして、できるだけ教員の意向を尊重した人事を行うように配慮していた。
(二) 原告は、右の希望調査書に、第三学年の副担任と記載して提出した。鍋田校長は、原告が昭和六一年度は第一学年の学年主任を、昭和六二年度は第二学年の学年主任をそれぞれ担当していたことから、原告の真意は第三学年の学年主任であると判断し、進路指導の経験も豊富な原告であれば、複合選抜制度が導入される昭和六三年度の第三学年の学年主任に適任であると考えた。そこで、鍋田校長が、原告に対し、昭和六三年三月初旬ころ、昭和六三年度も学年主任を担当するように打診したところ、原告はこれを快諾した。
なお、学年主任の職務は、校長の監督を受け、当該学年の教育活動に関する事項について、連絡調整及び指導助言に当たるものとされている。
原告は、学年主任として担任を持たず、社会科の授業を三年生六クラスについて各三時間ずつ週一八時間担当し、これに課外活動の一時間を加え、一週間に合計一九時間の授業時間を持つことになった。
なお、鍋田校長は、第三学年の学年主任という職務と原告の年齢を考慮すると、右の週一九時間はやや多いと感じ、当初は三年生と二年生の授業の兼務で週一七時間を提案したが、原告が三年生の授業のみを希望したために右の週一九時間となった。
(三) 昭和六三年度の第三学年の担当教員は、学年主任を原告が、進路指導主事を都築教諭が担当し、学級担任は九名、担任を持たない教員が二名の合計一三名であった。
なお、進路指導主事の職務は、校長の監督を受け、生徒の職業選択の指導、その他の進路の指導に関する事項をつかさどり、当該事項について連絡調整及び指導助言に当たるものとされている。
鍋田校長は、都築教諭を進路指導主事に選任するに当たっては、同人にこれまで進路指導主事の経験がなかったことから、特に事前に原告に相談し、その承諾を得ていた。
2 複合選抜制度、進学関連業務及び学年会について(甲第五、第六号証、第七号証の一ないし三、第一五、第四六、第四七、第五一、第六九、第七二、第九一、第九二、第一二五、第一二八号証、第一四三ないし第一四九号証、第一五四、第一五六、第一六七、乙第二号証、第四ないし第六号証、第九、第一一、第一二号証、証人鍋田寛、同森岡邦夫、同茅野浩三の各証言、原告本人尋問の結果)
(一) 複合選抜制度について
(1) 複合選抜制度は、愛知県において平成元年度から実施された公立高校の受験制度であり、推薦入試と二回の一般入試と第二次募集を組み合わせたものである。
(2) 県教委は、複合選抜制度の導入に当たり、愛知県下の中学校に対し、昭和六二年度から説明を開催するとともに、昭和六二年一二月と昭和六三年五月の二度にわたってシミュレーションを実施した。
鍋田校長は、昭和六三年度の第三学年の学年主任を原告が担当する予定であったことから、原告に対し、右の説明会に出席するよう命じ、原告は昭和六二年一二月これに出席した。
また、第一回目の複合選抜制度のシミュレーションは、昭和六二年一二月ころ、原告と都築教諭が中心となり、四〇名ないし五〇名の生徒を対象として行われたが、昭和六三年五月の第二回目は、生徒全員を対象とした本番に近い形式で実施され、このときは都築教諭が中心となり、原告はこれを補助した。
(3) 複合選抜制度の入試日程が初めて新聞報道されたのは昭和六三年七月二六日であり、私立高校関係の入試日程が報道されたのは同年一一月一三日であった。私立高校は、公立高校の複合選抜制度対策として、従前よりも大幅に入試日程を繰り上げた。
そして、複合選抜制度の入試日程がすべて公表されたのは、昭和六三年一〇月二二日に開催された県教委による複合選抜制度に関する説明会であり、推薦入試は、二月一〇日願書受付、同月一三日締切、同月一五日面接試験、同月一七日合格者発表、一般入試は、同月一七日受付、同月二一日締切、同月二三日から二五日まで志願変更日、三月九日Aグループ入学試験、同月一三日Bグループ入学試験、同月二二日合格者発表と決定された。
(二) 進学関連業務について
(1) 推薦入試はこれまでも行われていたが、複合選抜制度になってからその規模は飛躍的に増大し、大府北中においても推薦入試志願者は七三名に増加し、そのうち三五名が推薦されることになったが、その数は例年の約一〇倍であった。
また、一般入試は、A日程とB日程に分類されたグループから各一校を選択し、これに志望順位を付して二回受検するものであり、そのため入学願書及び調査書は二四八名分四七六通に及ぶことになった。
右のとおり、複合選抜制度は、受験機会の拡大と制度自体の複雑さのために、従前の学校群制度に比べてその進学関連業務は大幅に増加したが、特に昭和六三年度は、複合選抜制度導入の年であったうえ、一般入試の日程が一週間繰り上げられたため、原告ら三年生担当教員は大変忙しい思いをした。
(2) ところで、進学関連業務を、いつ、どのような方法で実施するか、また、どの程度まで実施するか等は、主として学年主任である原告の判断に基づいて決定されていたが、もとより、進学関連業務に要する時間は、その計画性や合理化、効率化の工夫によって左右されるところ、原告は、次の(三)で認定するとおり、計画的、かつ能率的に学年会を運営していくという点で少し欠けるところがあり、必要以上に時間を要したことがあった。
(三) 学年会について
(1) 学年会は、学年主任、進路指導主事、各学級担任及び副担任を構成員とし、当該学年の教育活動に関する事項について、協議、連絡、調整等をするための会議であり、学年主任がその必要に応じて開催するものであった。
なお、大府北中の行事予定表には、月一回の割合で学年会の記載がなされていたが、右は、教務主任が、他の学校行事との関係で学年会の開催日を確保するために記載したものにすぎず、鍋田校長がその開催を命じたものではない。
学年会開催の要否、時期、議題、進行等は学年主任である原告の判断にゆだねられていたところ、原告は、第三学期行事予定に記載されている学年会以外にも、平成元年一月には八回、同年二月には一二回学年会を開催したが、そのほとんどが進学関連業務に関するものであった。そして、右各学年会の開催は、開催前日や開催当日の朝に伝達されることが多く、計画性に欠ける面があった。
(2) ところで、大府北中では、学校行事は、各教員に配布される行事予定表(年間予定・学期予定・月予定・週予定)や、職員室の黒板に記載され、各教員らは、これらの記載によって各種学校行事を実施していた。
右の各種学校行事の日程は、まず、運営委員会において、早川教務主任が作成した行事予定案に基づいてその調整がなされ、その後、職員協議会にかけて全教職員の合意を得たうえで、校長が決定していた。
なお、運営委員会は、校長、教頭、教務主任、校務主任、各学年の学年主任、保健主事、生徒指導主事及び三〇歳以下の教員の代表者一名と女性教員の代表者一名とで構成され、職員協議会の円滑な進行を図るため、その議題を精選、調整するものであった。
原告も右運営委員会の構成員であり、各種行事の日程に変更・修正の必要があれば、意見を述べて第三学年の学年行事との調整を図る立場にあったが、原告から、進学関連業務に関する学年会との関係で、各種行事、特にその多くを占めていた道徳研究全体会との調整について意見が出されたことはなかった。
また、運営委員会で審議される行事予定案は、早川教務主任があらかじめ学年主任等から行事予定を聴取し、その調整をした上で作成していたが、第三学年の学年主任である原告からの学年計画の提出が遅いため、早川教務主任は日程調整に苦慮していた。早川教務主任から右の実状を聞いた鍋田校長は、原告に対し、学年計画を早めに出すようにと助言したことがあった。
(3) 原告は、学年会の運営について、あらかじめ簡単なメモを配布することはあったが、事前に検討資料を作成してこれを配布しておくことは少なく、三年生担当の教員らは事前準備なしで会議に臨むことが多かった。そのため、会議の能率が悪く、時間が長引くことが多かった。
また、会議が終わったと思って退席しようとしても、原告は思いつきで別の話題を始めることがあり、三年生担当の教員らは、原告に対し、会議の終了を言い出せず苦慮したこともあった。さらに、原告は、会議終了後、数名の教諭と雑談していることもあった。
学年会は、学年主任の考え方、運営方法によって大きく左右されるものであるが、当時の大府北中三年生の学年会は円滑さに欠ける面が少なからず存在した。
(4) 進学関連業務の中には、各教員が分担、手分けして空き時間に処理することが可能な作業も多く、そうした作業については学級担任を持たず比較的時間に余裕のある教員に依頼して、全教員の繁忙度をできるだけ等しくすることもできたと考えられるが、原告は、学年会を開催し、三年生担当の全教員が集まって右の作業を行う方針をとっていた。
また、進学関連業務の中には、進路指導主事である都築教諭等にその処理を任せ、原告は指導、助言するのみで足りる事務もあったが、原告は、その責任感から、自らも右の事務処理に当たっていた。
(5) 鍋田校長は、進学関連業務についても、原告ら三年生担当の教員にその処理をゆだねており、個別に何らかの指示をしたり、進捗状況やその成果について問い合わせたりしたことはなかった。
そして、原告は、進学関連業務等により本件時間外勤務をしていても、鍋田校長に対し、何らかの配慮を求めたり、勤務時間の割振りを要請したことはなかった。
そのため、鍋田校長は、進学関連業務は原告の指導の下で格別の不都合もなく遂行されているものと考えていた。
しかし、原告が、鍋田校長に対し、進学関連業務を処理するための時間が不足している旨申し出ていれば、鍋田校長は、生徒に対する教育が最優先であり、それによって道徳研究が遅れても仕方がないと考えていたことから、進学関連業務の処理を優先するように早川教務主任や森岡道徳研究主任に強く働きかけたり、あるいは、三年生だけでも授業を繰り上げるなどして、進学関連業務を処理する時間を確保することが可能であったと考えられる。
(6) 大府西中学校(三年生の生徒数四八九名で一一学級)の学年会は、学年主任が議題を整理し、各係に提案の準備をさせ、検討する議題が学年全体に前もって通知されていた。
そして、進学関連業務についても、昭和六三年四月ころに、私立高校入試担当者、公立高校入試担当者、就職担当者、各種専門学校担当者を決定し、右各担当者が中心となって進学関連業務を遂行していくことにした。しかして、右各担当者が計画的、合理的に進学関連業務を処理した結果、大府北中のように時間外勤務をしなければならならい状態には至らなかった。
3 道徳研究について(甲第一ないし第三号証、第六号証、第七号証の一ないし三、第二六、第二七、第二九号証、第三四ないし第三六号証、第三九ないし第四二号証、第四七、第一一五、第一一六、第一一八、第一五一、第一五二号証、乙第二、第五、第六、第九、第一二号証、証人井口健、同鍋田寛、同森岡邦夫、同茅野浩三の各証言、原告本人尋問の結果)
(一) 道徳研究の委嘱について
大府北中は、昭和六二年四月に知多地方教育事務協議会及び大府市教育委員会から道徳研究の委託を受け、昭和六三年四月には文部省から道徳研究推進校として研究指定の委嘱を受けた。
鍋田校長は、文部省から右の委嘱の申込みを受けた際、原告に対してもこれを相談し、原告から、全教員の意見を聴取して決めたらよい旨の助言を受けた。鍋田校長は、1(一)記載の学校運営方針に基づき、教職員会議において、文部省から委嘱の申出があった旨を説明し、全教職員の考えを聞き、その合意を得たうえで右の委嘱を受諾することにした。
鍋田校長は、その際、全教員に対し、忙しくなるので、家庭上、健康上の事情がある人は人事異動についての希望を出してもらいたい旨述べた。
(二) 学校管理案への記載
大府北中の昭和六三年度学校管理案には、本年度の重点努力目標として、道徳教育の研究指定校として、全職員一致協力をして研究推進に当たり、学校・家庭・地域の教育力の向上に努める旨が記載された。
また、右学校管理案に、道徳の指導計画の詳細や研究組織、研究課題、実施計画等の骨子を示し、校務分掌として道徳研究主任を置き、学校行事計画として道徳研究発表会を行ことにした。
(三) 研究組織について
本件道徳研究の組織は、校長、教頭、教務主任、校務主任、研究主任からなる研究企画部会の下に、授業研究部等の七部会を設け、全教職員がこれらの部会のいずれかに所属することとされた。また、各部の部長は部長会を構成し毎週協議を持つものとされ、さらに、全教職員によって構成される道徳研究全体会が設置された。そして、右の各会議は勤務時間内に開催され、教職員は特別な用事のない限り、右の各会議に出席するものとされていた。
本件道徳研究は、道徳の授業を中心に据えて実施され、各学年ごとに、毎月一回行われる道徳研究授業と、週に一回行われる道徳研究授業が持たれていたが、毎月一回の道徳研究授業の際には、当該学年の全教員が授業参観し、右授業が行われていない学級は自習時間とされていた。
道徳研究は、昭和六二年度は早川教諭が中心となって運営されていたが、昭和六三年度は新たに設けられた研究主任を森岡教諭が担当し、研究に専念できるように担当授業数が軽減される等の配慮がなされていた。
鍋田校長は、本件道徳研究の推進については、事実上、教務主任、道徳研究主任、道徳研究推進委員に一任していたが、道徳研究全体会にはほとんど出席していた。
(四) 原告への配慮等
(1) 鍋田校長は、早川教務主任に対し、道徳研究も大変であるが、三年生の進路指導も大変なので、原告ら三年生担当教員に不自由かけないように十分気を付けてほしい旨依頼していた。
(2) 道徳研究主任の森岡教諭は、原告に対し、道徳研究が負担とならないように比較的負担の軽い実践部の校門指導及び記録部の写真等の撮影と整理を依頼した。
右の校門指導は、朝の生徒たちの登校時に全教員が交代で校門に立ち、生徒たちが挨拶できるように指導するものであり、大府北中では既に二年前から実施されていたため、原告が新たに何かを企画するなどの負担を伴うものではなかった。
また、写真等の撮影と整理についても、加藤教諭と亀谷教諭が中心となっており、原告にはほとんど負担にならないものであった。
(3) 三年生担当の教員のうち、進路指導主事の都築教諭は家庭地域連携部長に、茅野教諭は環境情報部長に任命されたが、それ以外の教員は、進学関連業務に支障が出ないように比較的責任の軽い部会に配属された。
(五) 道徳研究全体会の運営等
(1) 道徳研究全体会は、森岡道徳研究主任が中心となって運営されていたが、同人はあらかじめ検討資料を配布しておくなど事前準備を十分にし、会議が勤務時間内に終わるように配慮しており、会議が勤務時間を超える場合は自由に退席してよい旨の申合せがなされていた。
そして、森岡教諭は、昭和六三年の年度当初は、勤務時間が終わると、自由に退席してよい旨発言していたが、そのうち口に出しては言わなくなった。しかし、船越教諭、加藤教諭、久野教諭など数名の教員は、会議が継続されていても、勤務時間が過ぎると右の申合せどおり自由に退席していた。そして、そのことによって不利益を受けることは一切なかった。
右の取扱いは、各部会及び月に一度の道徳授業研究会においても同様であった。
また、鍋田校長は、会議が長引きそうな時は、短縮授業にして勤務時間内に会議が終わるように配慮していた。
(2) 文部省の学習指導要領の改訂により、平成元年二月から、道徳の指導項目が一六項目から二二項目に変更されることになり、鍋田校長としては、既定の一六項目でのスケジュールを変更することについては教員の負担が増加することから消極的であったが、教員らの中では、研究の成果を今後もできるだけ広く利用してもらうために、忙しくなっても二二項目の研究スケジュールに計画変更したいとの意見が大勢を占めた。
そのため、平成元年一月中旬以降、それまで月一回程度であった道徳研究全体会がほとんど毎週のように開催されるようになった。
(3) 森岡道徳研究主任は、道徳研究全体会等の日程を早川教務主任に早めに連絡するようにしていた。
そして、森岡道徳研究主任も、道徳研究も大事であるが、三年生の進学関連業務の方がもっと大切であると考えていたので、原告から日程調整の申入れがあれば当然これを考慮したはずであったが、原告から右の申入れはなかった。
また、道徳研究と三年生の進学関連業務とでは、後者の方が優先することは明らかであるから、原告あるいは三年生担当教員が、進学関連業務を処理するために道徳研究全体会等に欠席したとしても、何ら非難されるものではなく、そのことは原告にも分っていたはずである。
4 推薦委員会、進学指導委員会、卒業・修了認定会議、職員協議会、生徒指導全体会について(甲第五、第八、第四七、第六九号証、証人鍋田寛の証言、原告本人尋問の結果)
(一) 推薦委員会、進学指導委員会について.
(1) 推薦委員会は、昭和六四年度愛知県公立高等学校入学者選抜実施要項に基づいて設置された委員会であり、保護者会において推薦を申し出た生徒全員について、推薦が妥当か否かを審議する諮問機関である。昭和六三年度の推薦委員会の構成員は、校長、教頭、教務主任、校務主任、進路指導主事、保健主事、生徒指導担当主事、三年学年主任、同副主任、三年生担任教員、同副担任等であり、会議を開催するには原則として全委員の出席が必要とされていた。
(2) 進学指導委員会は、右(1)記載の実施要項に基づいて設置された公立高校入学志願者の調査書作成のための審議機関であり、構成員は、校長、教頭、教務主任、校務主任、進路指導主事、三年学年主任、同副主任、三年生担任教員、同副担任、一、二年学年主任、二年副主任、生徒指導主事、保健主事である。
なお、進学指導委員会は、右の職務とともに、公立高校進学指導基準案の承認、生徒の進学希望校の適否についての審議等の職務も行っていた。
(3) 推薦委員会や進学指導委員会の運営は第三学年に任されていたので、会議開催の時期等については、第三学年の学年主任である原告と都築進路指導主事が相談して決定し、それを校長が了承するというのが実態であった。
(二) 卒業・修了認定会議について
卒業・修了認定会議は、卒業・修了の認定権者である校長を補佐するために、年間六〇日以上欠席した生徒について、卒業又は修了を認定してよいかを審議する機関であり、構成員は、運営委員会の各委員及び三年生担任教員であった。
(三) 職員協議会、生徒指導全体会について
職員協議会は学校全体の問題について、生徒指導全体会は生徒指導の問題について、それぞれ教職員全員が協議する校長主催の職員会議である。
右各会議については、鍋田校長は、年度当初の職員協議会の席上において、会議途中であっても勤務時間が終了すれば、用事のある人は退席してもよい旨全教職員に対して告知しており、現実に会議途中で退席する教員もいたが、そのことによって不利益を受けることはなかった。
また、鍋田校長は、右各会議が勤務時間内に終了するように配慮し、場合によっては授業時間を短縮し、授業を繰り上げることによって会議の時間を確保していた。
5 本件時間外勤務の具体的な職務内容(甲第五、第六号証、第七号証の一ないし三、第八ないし第一一号証、第一三号証、第一五ないし第一八号証、第一九号証の一ないし三、第二〇ないし第二四号証、第二七、第二九号証、第三五ないし第三七号証、第三九、第四〇、第四二号証、第四六ないし第五一号証、第五二号証の一、二、第五三号証の一ないし五、第五四ないし第六一号証、第六二号証の一ないし五、第六三ないし第六五号証、第七〇、第七一、第七六、第九一、第九二、第一〇九、第一一一、第一一二号証、第一一五ないし第一一八号証、第一二四、第一二五号証、第一二六号証の一、二、第一二七ないし第一二九号証、第一三八ないし第一五八号証、第一五九号証の一ないし六、第一六〇号証の一、二、第一六一号証の一、二、第一六五ないし第一六七号証、第一七〇ないし第一七二号証、乙第四、第五、第九、第一一、第一二号証、証人茅野浩三の証言、原告本人尋問の結果)
(一) 平成元年一月九日(月曜日)
(1) 同日は、始業式、学級指導に引き続き、午前一一時ころから午後零時ころまで職員協議会が開催された。鍋田校長は、右職員協議会が終了した午後零時ころ、勤務終了宣言をした。
(2) 原告は、右勤務時間終了後、午後一時三〇分ころまでに、学年主任の担当業務であるテスト監督表の作成を行い、これを関係者に配布した。
(3) その後、原告は、翌一〇日に予定されていた社会科学年末試験のテスト用紙を作成した。右テスト用紙の作成は、冬休みを利用して作成しておいたテスト問題の素案を基にして、第三学年の他のクラスの社会科を担当していた岩瀬教諭と協議し、テスト問題を確定したうえ、これを印刷する作業であった。
(4) 原告の勤務終了時刻は午後六時ころであった。
(二) 平成元年一月一〇日(火曜日)
(1) 原告は、午後一時三〇分から午後二時三〇分まで道徳研究全体会に出席した。
(2) 原告は、右道徳研究全体会が終了した午後二時三〇分ころから、学年会を開催し、次の①ないし⑤について協議、説明、確認を行い、教員間の意思統一を図った。
① 複合選抜制度の仕組みを確認し、今後どのように対応していくかについての協議
② 原告と都築教諭が、業者テストの結果を参考にして昭和六三年一二月二八日に作成した、「予想される各公立高校ごとの最低合格ライン」についての説明
③ 教科ごとの評定配分について協議し、これを確認
④ 学年末試験の処理日程の確認
原告は、このとき、当初一月二一日に予定されていた成績交換日を一月一八日に変更したが、これは、昭和六三年一二月二三日に行われた三中進対の席上で、各中学ごとに、志望校別の生徒数を評定順に整理して平成元年一月二三日の三中進対において報告するものとされたため、右日程を繰り上げたものである。
なお、三中進対とは、大府市校長会の進路指導担当責任者である大府西中学校の岩瀬校長の主催で、大府市内の三中学の進路指導主事と学年主任とが集まり、主として大府東高校及び大府高校の推薦入試の推薦をどの中学に何人割り当てるか、大府東高校への出願者の評定基準をどこまで下げるかを調整し、同校で欠員を出さないようにするために連絡、調整する会である。
⑤ 三学期の日程(マラソン大会、合唱コンクール等)の確認
(3) 原告の勤務終了時刻は午後八時であった。
(三) 平成元年一月一一日(水曜日)
(1) 原告は、午後四時ころから学年会を開催した。同日は、学年末テスト期間中で、生徒は午前中に下校することになっており、他の学年の授業を担当している一部の教員を除いたほとんどの三年生担当教員が午後から空き時間となっていたが、原告は、全教員が集まってから学年会を開催することにしたため、午後四時ころの開催となった。右学年会では、次の①ないし④の作業がなされた。
なお、大府北中では、私立高校推薦入試の願書提出日を一月一三日及び同月一四日としていたところ、同月一二日には私立高校等受験者のための面接指導が予定されていたため、次の①ないし③の作業はこの日のうちに完了しておかなければならなかった。
① 私立高校推薦入試の調査書の点検及び作成作業
原告ら三年生担当の教員は、各クラス担任が作成した調査書の記入内容に誤りがないかを確認し、学校名、学校長名を調査書にゴム印で記名し、学校長職印を押印して調査書を完成させた。
なお、学校長職印は、校長又は教頭が管理し、勤務時間外においては封印又は施錠をしておかなければならないものとされているところ、教頭は、同日の午後零時前、原告に学校長職印を手渡し、そのまま知多高校に出張した(甲第一〇号証)。
② 私立高校推薦入試の願書の点検作業
原告ら三年生担当の教員は、生徒が作成してきた入学願書の点検作業を行い、学校保管用にコピーを一部とった後、右入学願書に収入印紙を貼付した。
なお、右入学願書は、下書きの段階と正式な願書の作成段階の二度にわたってクラス担任が点検したものであるから、右学年会での点検作業は、それほど多くの時間を要するものではなかった。
③ 右調査書及び入学願書を志願先の高校別に仕分ける作業
④ 私立高校推薦入試志願者名簿の作成作業
右の名簿は、私立高校推薦入試につき、どの高校にどれくらいの成績の生徒が何名出願したかを記載するものであり、同日は各生徒の評定点の合計値を記入するまでの作業を行った。
ところで、右①ないし④の作業は、いずれも全教員が集まらなくてもできる作業であり、それぞれの教員が空き時間に分担して行うことも可能であるし、また、必ずしもクラス担任がする必要はなく、担任を持たない教員がより多く分担して行うことも可能なものであった。すなわち、調査書及び入学願書の点検作業も、当該生徒のクラス担任以外の教員が分担して空き時間に行うことが可能であり、記載内容で不明な点があれば、当該生徒のクラス担任に別途まとめて尋ねれば足りるものである。
(なお、以下においては、右と同様に作業の性質上全教員が集合する必要のないものがあっても、その旨の説示は省略する。)。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後八時であった。
(四) 平成元年一月一二日(木曜日)
(1) 原告は、午後一時四五分から午後三時ころまで、私立高校推薦入試志望者、各種専門学校志望者及び就職希望者を対象とする面接指導(面接試験の練習)に従事し、その後、職員室において、学年末テストの採点を行った。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時であった。
(五) 平成元年一月一三日(金曜日)
(1) 同日は私立高校の推薦入試の出願日であり、原告は、午後三時ころから、原告の担当とされていた星城高校と安城学園高校に願書出願のため出向き、帰校後、前日に引き続き、学年末テストの採点をした。
(2) 原告は、その後、都築教諭とともに、各教員が受領してきた私立高校推薦入試の受験票を整理し、各受験票に記載されている受験番号を私立推薦入試志願者名簿に記録する作業を行った。
(3) 右テストの採点及び受験票の記録作業は勤務時間外に及び、原告が勤務を終了した時刻は午後六時であった。
(六) 平成元年一月一四日(土曜日)
(1) 原告は、同日の午後、私立推薦入試志願者名簿の印刷及び製本作業を行った。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後四時であった。
(七) 平成元年一月一七日(火曜日)
(1) 原告は、午後三時三〇分から午後五時まで道徳研究全体会に出席した。右全体会では、同月二一日に予定されている文部省調査官の学校訪問に備えての模擬授業が行われた。
(2) 原告は、午後五時ころから午後六時三〇分ころまで、会議室において開催された運営委員会に出席した。右運営委員会では、主として同年二月行事計画と三学期の教育相談の原案について審議(調整)がなされたが、原告は、特段の意見を述べることなく右原案を承認した。
(3) 右運営委員会と同時間帯に学年会が開催され、右運営委員会に出席している原告と都築教諭を除いた三年生担当教員により、私立高校一般入試の進学事務処理日程など当面の日程協議がなされた。原告と都築教諭は、右運営委員会終了後、右学年会に出席し、都築教諭において、公立高校の調査書の記入方法を説明した。
(4) 原告の勤務終了時刻は午後七時ころであった。
(八) 平成元年一月一八日(水曜日)
(1) 同日の午後四時ころから午後四時三〇分ころまで、私立高校一般入試に備えての面接指導が行われた。右面接指導は、都築教諭の指示の下に実施され、対象者は、受験者全員ではなく、高校別受験者の中から一、二名の代表者を選出し、三〇分程度の時間で一斉に実施したものであった。
(2) 原告は、午後五時から学年会を開催し、次の①ないし③の作業及び協議を行った。
① 三年生担当の教員がそれぞれ分担して作成してきた私立高校一般入試志願者名簿の確認作業
② 生徒が各クラス担任に提出した私立高校一般入試の入学願書を各私立高校ごとに仕分ける作業
③ 同日実施された私立高校一般入試の面接指導結果の集約作業及び右結果についての協議
右面接指導の担当教員は、右面接の結果をメモにして都築教諭に手渡し、都築教諭がこれを集約し、学年会において、右の集約結果を協議した。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
(九) 平成元年一月一九日(木曜日)
(1) 原告ら三年生担当の全教員は、午後三時四〇分ころから午後四時二〇分ころまで、私立高校、高等専門学校及び各種学校の推薦入試の事前指導を行った。これは、生徒たちが目的の学校へ入試開始の時刻までに出頭し、入試終了後無事に帰宅できるように、朝の集合場所、乗車する列車及び目的とする学校までの道順などを確認するものであった。
(2) 原告は、その後、三年生の各教科担当が作成した各教科の学習の記録一覧表を受け取り、これを早川教務主任に提出するための取りまとめ作業を行った。なお、右の取りまとめ作業は、空き時間を利用してもできる単純作業であった。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
(一〇) 平成元年一月二〇日(金曜日)
(1) 同日は金曜日であったが、翌二一日(土曜日)の午後に道徳の研究授業と文部省調査官の指導及び講演が予定されていたため、振替えにより土曜日扱いとされた。
(2) 原告は、午後から学年会を開催し、一月二四日に予定されていた私立高校一般入試の出願準備作業として、次の①ないし④の作業を行った。
① 私立高校一般入試志願者の成績証明書(調査書)の点検及び作成作業
右成績証明書の点検及び作成手順は、前記(三)(1)①に記載した私立高校推薦入試志願者の調査書の点検及び作成手順と同じである。
なお、教頭は、同日、原告に対し、学校長職印を手渡して退校した。
② 私立高校一般入試志願者の入学願書の点検作業
右も前記(三)(1)②に記載した私立高校推薦入試志願者の入学願書の点検手順と同じである。
③ 右の成績証明書及び入学願書を各私立高校ごとに仕分けし、これに各私立高校ごとの受験者一覧表を添えて封筒に入れる作業
④ 私立高校一般入試志願者名簿の作成作業
私立高校一般入試の成績証明書に記入する評定は二学期のそれであり、各クラス担任は右の評定が記載された名簿を既に完成していたことから、この日の作業は、右評定の照合と各私立高校別の志願者の仕分け作業であった。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後八時二〇分であった。
(一一) 平成元年一月二一日(土曜日)
(1) 同日は土曜日であったが、道徳の研究授業と文部省調査官の指導、講演が予定されていたため、平日勤務扱いとされた。
そして、午後一時二〇分から午後二時二五分まで道徳の研究授業が行われ、原告はこれに出席した。右に引き続き、午後三時から午後四時四〇分ころまで文部省調査官の指導と講演が行われ、原告はこれにも出席した。
(2) 公立高校進学指導基準案の作成
① 原告は、午後四時四〇分ころから、都築教諭、蟹江教諭、早川教諭及び板倉教諭とともに、公立高校の進学指導基準案の作成作業を行った。
右進学指導基準案は、各公立高校の合格最低ラインを、九教科の評定合計数値と業者テストの点数の双方から示すものであり、各クラス担任の進学指導の手引となるものであった。
なお、原告らがこの日に右進学指導基準案を完成させなければならなかったのは、一月五日に実施された業者テストの西三河地方分の結果が大府北中に届いたのが一月二〇日であったこと、右進学指導基準案の作成には数名の教員による数時間の継続作業が必要であったこと及び一月二四日開催予定の第二回進学指導委員会において右進学指導基準案を審議することとされていたためである。
② 大府北中では、学校群制度のころから公立高校進学指導基準が毎年作成されていた。
ところで、右進学指導基準は、三年生担当の教員らが生徒の進学指導の手引とするために自発的に作成するものであり、昭和六三年度の三年生担当教員らも、生徒に対する指導がクラス担任によって異なるのでは具合が悪いため、右進学指導基準を作成することは当然のことと考えていた。
しかし、右進学指導基準をどのような方法で作成するか、あるいはどの程度の正確性をもった基準を作成するかは、当該年度の三年生担当教員の考え方によって異なるものであり、大府北中でも大雑把な基準を作成した年もあったところ、昭和六三年度の三年生担当教員の中には、原告のようにできるだけ不合格となる生徒を少なくするために極めて厳密な基準を作成しようとする者もいたが、他方、複合選抜制度導入の初年度であり、県下全体の受検生の動向がどのように変化するかを完全に把握することは難しいこと、複合選抜制度は受検の機会が二度あり、受かる学校よりも受かりたい学校を目指すものであることから、進学指導基準は大雑把なものでよいと考える教員もいた。そして、右教員間で意思統一がされないまま、原告は、従前の経験に基づいて受検生の動向を推測し、極めて厳密ではあるが多大な労力と時間を要する方法により、進学指導基準案を作成した。
なお、大府西中学校では、後者の考え方により大府北中ほど厳密な進学指導基準は作成しなかった。
③ 鍋田校長は、原告が進学指導基準案を作成するであろうとは考えていたが、その作成を指示したことはなく、また、その作成方法について口出ししたこともなかった。
なお、昭和六三年一二月二一日の第一回進学指導委員会においては、鍋田校長は、原告に対し、大府東高校、大府高校の受検状況を把握するために三中進対に提出する資料を早く出すように指示したにすぎなかった。
(3) 原告の勤務終了時刻は翌日の午前一時三〇分であった。
(一二) 平成元年一月二三日(月曜日)
(1) 同日の午後四時すぎから職員協議会が開催され、二月の行事予定と三学期の教育相談の計画についての協議がなされた。
(2) 右職員協議会に引き続き、午後五時四〇分ころまで道徳研究全体会が開催され、原告も出席した。右全体会では、一月二一日の文部省調査官による指導内容を踏まえ、今後の研究の進め方を中心に協議が行われた。
(3) 原告は、道徳研究全体会終了後の午後五時五〇分ころから学年会を開催し、同日午後一時三〇分から大府西中学校で開催された三中進対の結果報告として、大府東高校の推薦入試の推薦基準と大府北中への割当て推薦枠についての報告をするとともに、一月二一日に作成した公立高校進学指導基準案について説明し、その協議を行った。
右学年会は、同月二四日に予定されていた第二回進学指導委員会及び同月二五日から始まる保護者会に備えて、三年生担当の全教員が推薦入試の指導をいかに進めるか、また、複合選抜制度の導入により各公立高校の合否の基準がどのように変わるかについて共通の理解を深めるためのものであった。
(4) 原告の勤務終了時刻は午後八時前であった。
(一三) 平成元年一月二四日(火曜日)
(1) 原告は、午後四時一〇分ころから開催された第二回進学指導委員会に出席し、その司会をした。原告は、都築教諭とともに、複合選抜制度の導入による進学志向の変化と、公立高校の合否の基準の変化について説明し、原告らが作成した公立高校進学指導基準案の承認を求め、その承認を得た。
(2) 原告は、右進学指導委員会終了後、直ちに学年会を開催し、著しく進学指導基準から逸脱している生徒の第一志望校と第二志望校の組合せ方法及び保護者との懇談の仕方について協議した。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後九時であった。
(一四) 平成元年一月二五日(水曜日)
(1) 同日の午後から保護者会が実施され、原告は、全クラスの保護者会が終了するまで職員室で待機し、適宜巡回した。
原告が右のように職員室で待機していたのは、保護者会で問題が生じた場合には、学年主任として調整や助言に当たろうとしたためであった。
なお、鍋田校長が、一月二五日及び同月二六日の各勤務時間終了後、原告に対し、後事を託して下校した事実を的確に認めるに足りる証拠は存在しない。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時三〇分であった。
(一五) 平成元年一月二六日(木曜日)
(1) 原告は、前日と同様に、全クラスの保護者会が終了するまで職員室で待機し、適宜巡回した。
なお、原告は、右待機時間中、同月三〇日に実施される私立高校一般入試当日の指導計画案の作成に着手した。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時三〇分であった。
(一六) 平成元年一月二七日(金曜日)
(1) 原告は、前日と同様に、全クラスの保護者会が終了した午後六時一〇分ころまで職員室で待機し、適宜巡回した。
(2) 原告は、右保護者会の終了に引き続いて学年会を開催した。右学年会では、保護者会の結果の集約を主な目的とし、次の①ないし③の確認及び協議を行った。
① 公立高校推薦入試受検志願者の確認
右確認の結果、三中進対で決定された大府東高校への推薦割当て人数をはるかに割り込む事実が明らかになり、地元新設高校優先の指導方針に基づいて、名古屋南高校を第一志望とする生徒を大府東高校を第一志望にするように働きかけることが確認された。
② 公立高校一般入試の志望高校変動の確認
③ 私立高校一般入試当日の指導計画についての協議
(3) 原告の勤務終了時刻は午後九時であった。
(一七) 平成元年一月二八日(土曜日)
(1) 午後零時三〇分から、私立高校一般入試受験者に対する事前指導が実施され、原告も指導に当たった。右事前指導は、生徒が無事に受験できるように、乗車する電車、降車する駅、高校までの道順を教え、同じ受験校の生徒は一緒に行くように指導するものであった。
右事前指導が勤務時間終了後に開催されたのは、同日、生徒の委員会活動が午後零時二〇分まで行われ、事前指導を受けなくてはならない生徒の中に、右委員会へ出席しなければならない生徒が多数いたためである。
(2) 原告は、右事前指導終了後、刈谷、大府東、刈谷北及び大府の各県立高校を組み合わせて志願している生徒のリストを用いて、第二志望校である大府東高校及び大府高校にこれらの生徒のうち何名くらいが流れるかを予測し、三中進対で確認されている大府東高校及び大府高校への割当て入学者を確保するためには、他に何名程度の志願変更を必要とするかを検討した。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後四時ころであった。
(一八) 平成元年一月三〇日(月曜日)
(1) 原告は、午後三時四〇分から午後六時ころまで道徳研究全体会に出席した。
右道徳研究全体会では、研究企画部会から三学期の研究活動計画案が提示された。これは、平成元年二月一〇日ころに文部省の学習指導要領が改訂さて、これまで一六項目であった道徳の指導項目が二二項目に増加されることが判明したことから、教員らの負担を考えて従来の一六項目について予定どおり研究を続けるべきか、あるいは新学習指導要領の二二項目について研究すべきかについて提案したものであったが、教員の間では、忙しくなったとしても、新学習指導要領に沿って二二項目について研究したほうがよいとの意見が多数を占めたため、従前の研究スケジュールを修正し、二月中旬から三月下旬にかけて集中的に研究活動を行うことになった。
(2) 原告は、右道徳研究全体会が終了した午後六時ころから学年会を開催し、右学年会では、昨年度使用した公立高校推薦基準を今年も使用することを確認し、これに基づいて加点・減点事由を四〇名ないし五〇名について個々に議論し、また、推薦書の下書きの一部を読み合わせて意見交換を行った。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後八時であった。
(一九) 平成元年一月三一日(火曜日)
(1) 原告は、学習成績等評定一覧表作成の基礎作業として、各教科の担当教員がした生徒の成績評定が、評定配分表に従って正しく行われているか否か、また、各クラスの担任が右評定を正しく評定一覧表に転記しているか否かを確認した。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時であった。
(二〇) 平成元年二月一日(水曜日)
(1) 原告は、同日午後四時から学年会を開催し、翌二日に予定されていた推薦委員会に備えて、三年生担当の全教員により、推薦委員会の審議の対象となる公立高校推薦入試受検希望者七三名について、推薦入試基準表に基づき、各生徒の活動及び行動の成果を一つ一つ評価する作業を行った。
そして、右の評価点の確定作業に基づいて、生徒を高校ごとに成績順に記載した公立高校推薦入試希望者名簿を作成した。
(2) 原告の勤務終了時間は午後九時であった。
(二一) 平成元年二月二日(木曜日)
(1) 原告は、午後四時から午後七時四〇分まで推薦委員会に出席した。右推薦委員会では、推薦入試受検を希望する生徒一人一人について、各担任がその性格、行動、学習態度等について報告し、次いで他の委員が意見を述べた後、鍋田校長が推薦の可否を決定するとの方法により、公立高校推薦入試の推薦者三五名が決定された。
なお、鍋田校長は、右推薦委員会の閉会に当たり、推薦文の表現が稚拙であると指摘し、推薦文を再度検討するように述べた。
(2) 原告は、右推薦委員会終了後、直ちに学年会を開催し、二月一〇日に予定されている公立高校推薦入試の願書提出に向けての事務処理日程、すなわち推薦書、調査書の完成期日及び入学願書提出日等についての協議を行った。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後八時であった。
(二二) 平成元年二月三日(金曜日)
(1) 原告は、推薦書の文章表現について検討するために、午後四時から学年会を開催した。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時四〇分であった。
(二三) 平成元年二月四日(土曜日)
原告の勤務終了時刻は午後零時二〇分であった(時間外勤務なし)。
(二四) 平成元年二月六日(月曜日)
(1) 同日の午後四時ころから、公立高校推薦入試受検希望者及び公立高校のみの受検希望者に対する面接指導が行われた。原告は、当初、直接面接指導には当たらない予定であったが、鍋田校長が急に出張することになったため、専門学科志望生徒合計七名について面接指導を行った。
そして、原告は、すべての面接指導が終了するまで待機し、面接指導に当たった教員からその結果報告を受けた。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時三〇分であった。
(二五) 平成元年二月七日(火曜日)
(1) 同日の午後三時四〇分から午後五時五〇分まで道徳研究会の各部会が一斉に開催され、原告は、所属していた実践部会に出席した。右実践部会では、今後の研究の方向と当面の研究推進の確認がなされた。
(2) 原告は、右道徳研究会の各部会終了後、学年会を開催し、同月九日に予定されていた第三回進学指導委員会に備えて、公立高校志願者名簿の作成作業に着手し、まず、コンピューターに入力されている生徒の志望高校名の確認を行った。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後六時三〇分であった。
(二六) 平成元年二月八日(水曜日)
(1) 原告は、午後四時ころから学年会を開催した。
右学年会では、公立高校推薦入試の願書、推薦書及び調査書の取りまとめ作業、公立高校志願者名簿の作成作業の続き、右願書の提出に赴く教員の配置の決定が行われた。
ところで、公立高校志願者名簿の作成作業は、コンピューターで打ち出された各公立高校ごとの志望生徒の一覧表を、三年生担当の各教員が手分けをしてコピーし製本する作業であり、右の作業は授業の空き時間を利用して行われ、完成したのは翌九日の正午であった。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後九時であった。
(二七) 平成元年二月九日(木曜日)
(1) 原告は、午後四時から開催された第三回進学指導委員会に出席し、その司会をした。右進学指導委員会では、公立高校全日制受検志望者二八二名と同定時制受検志望者九名について、第二回進学指導委員会で承認された公立高校進学指導基準に基づいて合格の可能性があるか否かが審議された。
なお、鍋田校長は、右議会の閉会に当たり、生徒の問題行動が多くなっていることに憂慮している旨述べて、生徒指導についても遺漏がないように出席者に対して指示した。
(2) 原告は、右進学指導委員会が終了した午後九時三〇分ころから学年会を開催した。右学年会では、右進学指導委員会で、△(不合格に可能性があるから一ランク低位の高校にした方がよい。)、×(合格する可能性は低いから志望高校を変更せよ。)と判定された生徒合計九八名について、各クラス担任が今後の指導の見通しを報告するとともに、二月七日に発覚した生徒Aによる非行の概要の説明と事件関係生徒に対する学年としての当面の指導方針が確認された。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後一〇時三〇分であった。
(二八) 平成元年二月一〇日(金曜日)
(1) 原告は、午後四時から、小林教諭とともに、生徒Aの非行に伴う家庭訪問をした。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後九時三〇分であった(ただし、右時間外勤務は本件請求には含まれていない。)。
(二九) 平成元年二月一三日(月曜日)
(1) 原告は、午後四時二〇分ころから開催された第四回進学指導委員会に出席した。右進学指導委員会では、公立高校受検希望者二四五名分、定時制受検希望者九名分の合計二五四名分について、各クラス担任作成にかかる調査書の原案を審議し、これを決定した。
(2) 原告は、右進学指導委員会終了直後の午後七時ころから、学年会を開催した。右学年会では、調査書の矯正視力欄の記載方法や調査書完成までの日程等について協議がなされた。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後八時であった。
(三〇) 平成元年二月一四日(火曜日)
(1) 原告は、職員室において、今後の社会科の授業時間数と指導内容を確認し、今後の指導計画をまとめる作業を行った。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時であった。
(三一) 平成元年二月一五日(水曜日)
(1) 原告は、午後三時から、生徒Aの件で東海警察署に赴き、その後、名古屋家庭裁判所の審判に立ち会い、さらに、名古屋少年鑑別所に赴いた。
なお、同日は、公立高校一般入試の入学願書を完成させる作業が予定されていたが、右のとおり原告が急きょ出張せざるを得なくなったため、右作業は翌二月一六日に行うことに変更された。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時一〇分であった(ただし、右時間外勤務は本件請求に含まれていない。)。
(三二) 平成元年二月一六日(木曜日)
(1) 原告は、午後四時から午後七時まで、第三学年の月に一度の道徳授業研究会に出席した。
(2) 原告は、右道徳授業研究会終了後、学年会を開催した。
右学年会では、翌二月一七日の公立高校一般入試の入学願書提出のために、右願書の取りまとめ作業(具体的には、公立高校一般入試の願書合計四六七通につき、①記入内容に誤りがないかの確認、②愛知県収入印紙の張り付け、③写しをとり、④入学願書を切り離し各高校ごとに仕分ける、⑤各高校ごとに志願者一覧表を作成する作業)がなされた。
なお、原告は、午後七時五〇分ころ、右作業の開始に当たり、教頭から学校長職印を手渡された。
また、右作業終了後、公立高校ごとに出願に赴く教員を決定した。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後一〇時三〇分であった。
(三三) 平成元年二月一七日(金曜日)
(1) 原告は、午後四時一〇分ころから午後六時三〇分ころまで運営委員会に出席した。右運営委員会では、昭和六三年度の卒業式実施案について協議がなされた。
(2) 原告は、右運営委員会終了後、都築教諭と二人で、各教員が入学願書と引換えに受領してきた受検票に基づいて、各公立高校志願者一覧表に受検番号を記入する作業を行った。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
(三四) 平成元年二月一八日(土曜日)
(1) 原告は都築教諭と二人で、前日に引き続き、受検番号を公立高校入学志願者一覧表に記入する作業を行った。右作業は、大府東高校の受検票の到着が午後三時となったため遅れたものである。
(2) 原告は、右の作業終了後、翌一九日に予定されている模擬テスト(業者テスト)の準備状況を確認し、午後四時に勤務を終了した。
(三五) 平成元年二月一九日(日曜日)
(1) 同日は、公立高校一般入試の受検者を対象とする模擬テスト(業者テスト)が実施された。
(2) 原告は、右テスト終了後、バイクの無免許運転をしたために警察官に保護された生徒E外二名の生徒を学校に呼び出し、小林教諭とともに午後二時ころまで事情聴取を行った。
(3) 右(1)、(2)は、本訴において時間外勤務とされていない。
(三六) 平成元年二月二〇日(月曜日)
(1) 同日は、職員協議会、道徳研究全体会、卒業・修了認定会議、学年会の四つの会議が開催された。
鍋田校長は、前日の夕方ころ、あるいは同日の朝になって四つの会議が同日に開催されることを知り、早川教務主任に何とかならないかと尋ねた。しかし、早川教務主任が、原告が同月二〇日に学年会を開催したい旨当日の間際になって申し入れてきたため、学年会を翌日に変更できないか問い合わせたが、原告がどうしても同日中に学年会を開催したい意向であり、調整がとれなかったので最後に追加したと答えたため、やむなく同日に右の四つの会議を開催することを了承した。なお、原告は、翌二月二一日、有給休暇を取得する予定であった。
ところで、原告は、二月一六日に早川教務主任に提出した予定表の二月二〇日欄に、「調査書提出の為の点検・準備」と記載していたが、同月一七日に開催された運営委員会において、右の学年会を開催したい旨述べず、他の三つの会議が開かれることについても何も言わなかった。そのため、早川教務主任は、調査書の点検、準備が必ずしも学年会を開催しなくてもできることや、原告の右の態度から、原告が二月二〇日に学年会を開催したい意向を有していることに気付かなかった。
(2) 原告は、午後三時五〇分から開催された職員協議会に出席した。右職員協議会では、主として三月の行事と卒業式の実施案についての協議がなされた。
(3) 原告は、右職員協議会終了後、午後五時二〇分から午後六時一五分まで開催された道徳研究全体会に出席した。右道徳研究全体会では、二月下旬から三月中旬までの研究活動の日程等について協議がなされ、原告は校門指導についての年間の反省をまとめることになった。
(4) 原告は、午後六時一五分ころから午後七時四五分ころまで行われた卒業・修了認定会議に出席した。右会議は、年間六〇日以上欠席した生徒について、校長が当該生徒の担任から欠席の理由を聞き、当該生徒の卒業・修了の認定をする会議であり、原告は、学年主任の立場から、必要に応じて各担任の説明を補足し意見を述べた。
(5) 原告は、右卒業・修了認定会議修了後、午後七時五〇分ころから学年会を開催し、同月二二日に予定されている調査書の提出に備えて、次の①ないし⑨の作業を行った。
① 各クラス担任が清書してきた調査書の点検
② 右調査書のコピーを二枚作成する作業
③ 右調査書(二枚)に志望高校名、学科名を記入する作業
④ 各クラス担任が右調査書に押印する作業
⑤ 右調査書に学校長職印を押捺する作業
⑥ 右調査書を各高校ごとに仕分ける作業
⑦ 仕分けた調書等を、公立高校ごとに公立高校志願者一覧表の順序に並べ、受検番号を記入する作業
⑧ 完成した調査書を各公立高校ごとに角封筒に入れる作業
⑨ 申達書および受領書用紙を同じ角封筒に入れる作業
なお、鍋田校長は、午後八時四〇分ころ、原告らが作業をしている会議室を訪れ、原告に対し、「がんさん、頼むぞ。」と言って帰宅した。
(6) 原告は、右の作業のうち、申達書および受領書用紙の作成作業は、時間が遅くなったことから完了をあきらめて翌日に回すこととし、午後一一時一五分勤務を終了した。
(三七) 平成元年二月二二日(水曜日)
(1) 午後四時から午後六時まで道徳研究実践部会が一斉に開催され、原告はこれに出席した。
(2) 原告は、右実践部会終了後、公立高校一般入試の志願変更に備えて、都築教諭と二人で、大府市近辺の中学校の進路指導主事と連絡し合う等して、大府市近辺の公立高校への出願状況の把握に努め、その対策を検討した。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
(三八) 平成元年二月二三日(木曜日)
(1) 午後四時から午後六時まで道徳研究の各部会が一斉に開催され、原告は実践部会に出席した。
(2) 原告は、右実践部会終了後、午後六時二〇分から午後七時まで学年会を開催した。右学年会は、前日の出願状況の把握により、刈谷工業高校で一部の生徒が不合格確実と見込まれる状況が判明し、早急に志願変更させる必要が生じたことから、緊急に協議を行うために開催されたものであった。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
(三九) 平成元年二月二五日(土曜日)
(1) 同日は、公立高校一般入試の志願変更締切日であり、原告は、志願変更のため各高校に赴いている父母からの連絡に備えて、締切時間の午後五時まで職員室に待機した。
また、原告は、右待機時間を利用して、雨天時の卒業式後の卒業生の見送り案を作成した。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後六時であった。
(四〇) 平成元年二月二七日(月曜日)
(1) 原告は、午後三時五〇分ころから学年会を開催した。右学年会では、都築教諭が、各クラス担任に対し、学習成績等一覧表の作成方法について説明した。
(2) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
(四一) 平成元年二月二八日(火曜日)
(1) 原告は、午後三時五〇分ころから午後六時ころまで行われた生徒指導全体会に出席した。右生徒指導全体会は、非行を繰り返し行っている二年生の生徒が登校してきた場合の学校の対応について、全教員が協議するために開催されたものであった。
(2) 原告は、右生徒指導全体会に引き続いて学年会を開催した。右学年会では、三月一日の合唱コンクールについての細部の打合せ、卒業式のための当面の指導(頭髪検査の実施等)についての打合せ、卒業記念品贈呈式の持ち方についての協議が行われた。
(3) 原告の勤務終了時刻は午後七時であった。
6 原告の平成元年度の職務分掌等(甲第三号証、証人鍋田寛の証言、原告本人尋問の結果)
鍋田校長は平成元年度の職務分掌について、原告に保健主事を依頼したが、原告は、第三学年の学年主任を希望し、右の依頼に難色を示した。しかし、鍋田校長は、人事の都合上、原告を保健主事に任命した。
なお、乙第二号証(鍋田寛の陳述書)には、原告が平成元年四月以降、職員協議会、道徳研究全体会等で、勤務時間を超えたら自由に退席していた旨の記載があるが、右の記載はこれを否定する原告本人尋問の結果に照らしてたやすく措信できない。
二 争点1について
1 明示の時間外勤務命令の存否
(一) 原告は、①平成元年一月一一日には私立高校推薦入試に必要な調査書作成のために、②同月二〇日には私立高校一般入試に必要な調査書作成のために、③同年二月一六日には公立高校一般入試の入学願書作成のために、④同月二〇日には公立高校一般入試必要な調査書作成のために、それぞれ教頭から学校長職印を手渡されて時間外勤務を命ぜられた旨主張している。
しかし、右①ないし④の作業は、後記説示のとおり、いずれも原告が自発的、自主的にしたものと認めるのが相当であるところ、教頭は、右①ないし④の作業に学校長職印が必要であったため、単に原告が自発的、自主的に作業するのに協力する趣旨で学校長職印を渡したにすぎず、時間外勤務を命ずる意思はなかったものと認められるから、原告の主張は採用できない。
(二) 原告は、平成元年一月二四日、第二回進学指導委員会の閉会に当たり、鍋田校長から、翌日からの保護者会の準備に遺漏なきようにと命令され、もって時間外勤務を命ぜられた旨主張している。
しかし、鍋田校長が原告主張の趣旨の言葉を述べたことがあったとしても、それは会議を終えるに当たっての単なる訓示にすぎず、時間外勤務を命じたものとは到底認められない。
したがって、原告の主張は採用できない。
(三) 原告は、平成元年一月二五日及び同月二六日の両日、鍋田校長から、勤務時間終了後、保護者会の進捗状況の報告を求められるとともに後事を託されたが、右は時間外勤務を命じられたものである旨主張している。
しかし、前記(一5(一四))認定のとおり、右両日の勤務終了後に鍋田校長が原告に対して後事を託した事実を的確に認めるに足りる証拠は存在しない。
仮に、鍋田校長が原告に対して何らかのことを述べたことがあるとしても、鍋田校長の教師の自主性を尊重する学校運営方針に鑑みると、それは原告が自発的、自主的に時間外勤務をしてくれることを期待する程度のものにすぎなかったものと推認するのが相当である。
したがって、原告の主張は採用できない。
(四) 原告は、平成元年二月二〇日午後八時四〇分ころ、鍋田校長から、同日中に調査書を完成させるように命ぜられた旨主張している。
しかし、右の事実を認めるに足りる的確な証拠は存在しない。
なお、前記(一5(三六))認定のとおり、鍋田校長が、原告に対し、「がんさん、頼むぞ。」と述べて帰宅したことはあったが、右は、自発的、自主的に作業をしている原告に対する激励の言葉であり、時間外勤務を命じたものでないことは明らかである。
したがって、原告の主張は採用できない。
2 黙示の時間外勤務命の存否
(一)(1) 給特法及び給特条例の制定以前、文部省は、教職員の時間外勤務の問題について、「勤務の態様が区々で学校外で勤務する場合等は学校の長が監督することは実際上困難であるので、原則として超過勤務は命じないこと」とする行政指導を行っていた。
しかし、教職員といえども無定量の職務専念義務を負うものではないし、勤務時間の算定が困難であるといっても、それが不可能というわけではないから、現実に時間外勤務が行われた場合には、労働基準法三七条により時間外勤務手当の支給請求権があるか否かの問題が生ずることになる。
そして、最高裁判所昭和三二年七月二三日判決は、授業の準備、整理につき超過勤務手当の支給を求める訴えを容認していたが、静岡地方裁判所昭和四一年一月二九日判決は、職員協議会、企画委員会、運営委員会、行事委員会等について超過勤務手当の支払を命じ、その後、昭和四三年を中心として全国的にこの種の時間外勤務手当請求訴訟が多数提起されるに至り、一大社会問題となった。
しかして、この問題は、昭和四六年に給特法及び給特条例が制定され、愛知県下の公立学校の教職員については、それまで適用されていた労働基準法三七条の時間外、休日及び深夜勤務による割増賃金に関する規定は適用されないものとし、これに替えて新たに俸給相当の性格を有する給与として、俸給月額の四パーセントに相当する額の教職調整額を支給し、時間外勤務については、正規の勤務時間の割振りを適正に行い原則として命じないものとし、命じ得る場合を、生徒の実習に関する業務、学校行事に関する業務、教職員会議に関する業務、非常災害等やむを得ない場合に必要な業務(第二の三1(一)(2)記載の限定四業務)に従事する場合で、臨時又は緊急にやむを得ない必要がある時に限定することによって、立法的に解決された。
(2) 右のとおり、給特法及び給特条例は、教職員の時間外勤務問題の解決が立法の契機となって、教職員の職務と勤務態様の特殊性に基づき、給与その他の勤務条件等を勤務の実態に適したものとするとともに、教職員の待遇の改善を図る目的で制定されたものであったが、これをさらに敷衍して考えると、給特法及び給特条例の立法趣旨は次のように解することができる。
すなわち、教育は、教師と児童生徒との間の直接の人格的接触を通じて児童生徒の人格の発展と完成を図るものであり、教職員の創意工夫によりどこまでも広がる無限定、無定量な特性をもつものであるから、教師の仕事は、時間とか目に見える結果によって計測できないという性質に加えて、教育という重要な職務に携わる教師としての責任と自覚に裏付られた自発性、創造性に基づいて遂行されなければならない部分が少なくないこと、勤務の形態も、夏休みその他の長期学校外における研修期間の存在など、一般の行政事務に従事する職員に比べて特殊な勤務形態が認められていること、また、職務の内容も、①勤務時間中の授業活動のように教師の本来の職務であることが明らかなもののほかに、自宅におけるテストの採点、教材の検討といった仕事の内容自体は本来の職務遂行であることが明白であるものの、校長による時間管理の難しさという点で特殊性のあるものから、②職員協議会、各種委員会への出席等の本来の職務に付随する業務と認められるもの、③あるいは一般に学校で行われている放課後のクラブ活動の指導、校外補導などのように、本来の職務か否か必ずしも明らかでないもの、④さらに、PTA活動、生徒、父母からの相談に応対する行為などのように、広義では教育活動といえるものの、直ちに業務ないし職務行為とは言い難いものまで千差万別であること、これに対応して、職務の遂行にあたり、教師の自覚、自発的意思によることにより多くを期待されているもの(右③、④)から、教師の自覚、自発的意思によることが望ましいことにかわりはないが、校長等からの職務命令により義務としてなさなければならないもの(右①、②)まで、種々異なった性格を有するものがあり、いずれにせよ、教師の仕事はどこからどこまでが本来の業務ないし職務であるのか、拘束されるべき時間ないし勤務なのか、あるいはそれが単に教師の自発的な意思に基づいて行われているのか、それとも業務ないし職務としてなされているのかを明確に割り切ることが困難であるといった特殊性を有していること、このような教育という職務及び勤務態様の特殊性に鑑み、給特法及び給特条例は、教員の勤務は、勤務時間を超えて一定時間働いたことに対してその時間数に基づいて手当を支払うという時間外勤務手当の制度になじまないものと考え、正規の勤務時間の内外を問わず教員の勤務を包括的にとらえてこれを再評価し、従前の時間外勤務手当及び休日給の制度の適用を排除し、これに替えて新たに教職調整額を支給することとし、時間外勤務が無定量、無限定なものになることを防止するために、時間外勤務を命じ得る場合を前記限定四業務に限定したものと解される。
(3) 以上のような給特法及び給特条例の立法の経緯及び立法の趣旨に照らすと、右の教職調整額は、明示の時間外勤務命令に基づくものではないが、黙示の時間外勤務命令によるものか、あるいは教師としての責任感から自発的、自主的に行っているものかはともかくとして、現実に存在している時間外勤務に対する給与措置を主体とし、これに教員の待遇改善措置を加味したものと解される。
ところで、教員の職務内容には、右(2)の①ないし④に記載したとおり、教師本来の職務に属する業務(①)、本来の職務に付随する業務(②)、本来の職務か否か必ずしも明らかでない業務(③)、広義の教育活動には属するが職務とはいえない業務(④)が存在するところ、教職調整額が、現実に存在している時間外勤務のうち、右①ないし④のどの業務までを給与措置の対象としていたかは必ずしも明白ではないが、その職務内容及び右(1)記載の給特法及び給特条例の立法経緯に照らせば、少なくとも立法前に裁判例によって認容されていた右①、②の業務は、給与措置の対象として念頭に置かれていたものと推認することができる。
他方、給特条例七条は、教員の時間外勤務が無限定、無定量になることを防止するため、教員に対しては原則として時間外勤務を命じないものとし、例外的に命じ得る場合を限定四業務に限っているから、限定四業務に属さない業務について時間外勤務命令を発した場合は、同条に違反し損害賠償の対象になることになる。
しかし、教職調整額が、現実に存在する時間外勤務のうち、ある程度の部分を給与措置の対象としていることは前述のとおりであるから、これと給特条例七条の規定とを調和的に解釈するためには、当該時間外勤務の内容、実態及び当該時間外勤務がなされるに至った経緯等に照らして、それが当該教員の自由意思を強く拘束する状況下でなされ、かかる時間外勤務の実状を放置することが給特条例七条の前記立法趣旨にもとるものと認められる場合は、黙示の時間外勤務命令が発せられていたものとして違法となるが、そうでない場合は、当該時間外勤務は当該教員の自発的、自主的な職務の遂行として違法にならないものと解するのが相当である。
そして、当該時間外勤務の内容が、教職調整額が給与措置の対象として念頭に置いていたと推認される前記①、②の業務である場合は、教員が自発的、自主的になしたものと推認する方向で考えるべきであるし、また、当該時間外勤務の実状が、当該教員の裁量にゆだねられている割合が大きければ大きいほど、教員の自由意思でなされたものと推認すべきであるし、さらに、当該時間外勤務がやむを得ない事情の下に特定の期間のみなされたものである場合は、給特条例七条の立法趣旨にもとるものとはいえないと解すべきである。
(二) そこで、右の見地から、前記第三の一5で認定した本件時間外勤務について、黙示の時間外勤務命令が存在したか否か、以下判断する。
(1) 一月九日の社会科テストの用紙の作成、同月一二日及び同月一三日の各テスト採点、二月一四日の社会科授業の今後の指導計画をまとめる作業による時間外勤務について
右は、いずれも教員の本来的職務に属する業務であり、原告の自発的、自主的な意思に基づいて遂行されたものと推認される。
(2) 一月九日のテスト監督表の作成、同月一九日の各教科の学習の記録一覧表の取りまとめ作業、同月二六日の私立高校一般入試当日の指導計画案の作成、同月二八日の私立高校一般入試受験者に対する事前指導、二月二五日の雨天時の卒業式後の卒業生見送り案の作成による時間外勤務について
右は、いずれも教員の本来的職務に付随する業務であり、前記認定の事実関係によれば、原告の自由意思を強く拘束する状況下でなされたものとは認められないから、黙示の時間外勤務命令によるものではなく、原告の自発的、自主的意思に基づいて遂行されたものと推認される。
(3) 一月一七日及び二月一七日の各運営委員会、一月二四日、二月九日及び同月一三日の各進学指導委員会、同月二日の推薦委員会、同月二〇日の卒業・修了認定会議による時間外勤務について
右各会議がいずれも校長主催の会議であり、開催日時は校長が決定し(ただし、進学指導委員会と推薦委員会については、原告と都築教諭が相談して決定し、鍋田校長がこれを了承するという実態であった。)、やむを得ない支障のある場合を除いて出席が義務づけられており、勤務時間を超えても鍋田校長から退席を認める旨の発言はなく、現実に退席する者もいなかったことからすると、原告の意思は事実上拘束されていたものと認められるが、右の時間外勤務はいずれも教員の本来的職務に付随する業務であること、前記認定の各会議が開催された回数及び勤務時間を超えた時間数等を考慮すると、かかる時間外勤務の実状を放置することが給特条例七条の立法趣旨にもとるものとまではいまだいえず、黙示の時間外勤務命令の発令を肯定するほど原告の自由意思を強く拘束する状況下にあったとは認めることができない。
結局、右の各時間外勤務は、原告の自発的、自主的意思に基づいて遂行されたものと推認するのが相当である。
(4) 一月二三日及び二月二〇日の職員協議会、同月二八日の生徒指導全体会による時間外勤務について
右各会議については、前記認定のとおり、鍋田校長より、勤務時間終了後は用事のある人は退席してもよい旨告知されていたこと、勤務時間終了後、現に退席していた教員もいたこと、しかし、右教員らがそのことによって不利益を受けたことはないことを考慮すると、原告は、勤務時間終了後も、自発的、自主的に右各会議に出席していたものと推認される。
なお、鍋田校長が、「用事のある人は」と付加したことについては、用事の内容まで明らかにする必要はなかったのであるから、用事のない人に対して時間外勤務命令を発したものではなく、用事のない人は残ってほしい旨の説得の意味を込めたものと解するのが相当である。
(5) 一月二三日、同月三〇日及び二月二〇日の道徳研究全体会、同月七日、同月二二日及び同月二三日の道徳研究実践部会、同月一六日の月に一度の道徳授業研究会による時間外勤務について
右各会議については、前記認定のとおり、勤務時間終了後は自由に退席してもよい旨の申合せがなされており、現に右申合せに従って退席していた教員もいたこと、しかし、右教員らがそのことによって不利益を受けたことはないことを考慮すると、原告は、勤務時間終了後も、自発的、自主的に右各会議に出席していたものと推認される。
(6) 右(1)ないし(5)以外の本件時間外勤務について
右(1)ないし(5)以外の本件時間外勤務は、学年会と進学関連業務によるものである。
ところで、複合選抜制度の導入により進学関連業務の事務量は大幅に増加したこと、進学関連業務の処理は入試日程に拘束されるものであるところ、進学関連業務は生徒の進路に関する重要な事務であり遅滞や過誤は許されないこと、道徳研究の各会議が一月中旬以降頻繁に開催されていたこと等を考慮すると、進学関連業務のうちのかなりの部分は、時間外勤務により処理せざるを得なかったものと認められる。
しかし、学年会や進学関連業務は、いずれも教員の本来の職務に付随する業務であること、学年会は、学年主任である原告が主催するものであり、その開催の要否、時期、議題、進行等は原告の判断にゆだねられていたこと、学年会は学年主任である原告の考え方、運営方法によって大きく左右されるものであること、進学関連業務に要する時間は、計画性や合理化、効率化の工夫によって左右されるものであるところ、進学関連業務を、いつ、どのような方法で実施するか、また、どの程度まで実施するかは、主として学年主任である原告の判断に基づいて決定されていたこと、原告は、道徳研究の各会議日程について、教務主任や道徳研究主任にその調整を申し出たり、運営委員会で意見を述べることもなく、これを了承していたこと等を総合考慮すると、学年会及び進学関連業務による時間外勤務は、黙示の時間外勤務命令の発令を肯定するほど原告の自由意思を強く拘束する状況下でなされたものとは認めることができない。また、進学関連業務は一月及び二月に集中するものであり、三年生担当の教員らがその時期忙しいことはやむを得ないことであって、その反面、三年生が卒業する三月七日以降は他の学年よりも時間的な余裕が生ずることを考慮すると、学年会及び進学関連業務により原告がなした時間外勤務の実状を放置することが、給特条例七条の立法趣旨にもとるものとはいまだ認められない。
結局、右の時間外勤務は、原告の自発的、自主的意思に基づいて遂行されたものと推認するのが相当である。
(7) 右(1)ないし(6)のとおり、本件時間外勤務は、いずれも原告の自発的、自主的な意思に基づいて遂行されたものと推認するのが相当であり、鍋田校長が黙示の時間外勤務命令を発したものと認めることはできない。
三 争点2について
1 鍋田校長の管理義務懈怠について
(一) 原告は、鍋田校長は、進学関連業務により原告が長時間の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあることを知りながら、漫然これを放置し、違法な時間外勤務を命じたから故意責任がある旨主張している。
しかし、鍋田校長が原告に対して時間外勤務命令を発したことがないことは前記説示のとおりである。そして、前記認定のとおり、鍋田校長は、進学関連業務の処理について原告から特段の申入れもなかったため、進学関連業務は原告の指導で格別の不都合もなく遂行されていると考えていたのであるから、漫然これを放置していたものでもない。
また、原告は、鍋田校長が正規の勤務の勤務時間の割振りを行わなかったから、給特条例七条一項に違反する重大な過失がある旨主張している。
しかし、前記説示のとおり、原告は自発的、自主的に時間外勤務をしていたものであり、また、鍋田校長に対して勤務時間の割振りを要請したこともなかったのであるから、給特条例七条一項に違反する重過失があるとはいえない。
したがって、原告の主張はいずれも採用できない。
(二) 原告は、鍋田校長が、進学関連業務が繁忙となる三学期においても、原告ら三年生担当教員に道徳研究会への出席を義務づけたため、原告は道徳研究会終了後に進学関連業務を処理せざるを得なかった旨主張している。
しかし、前記認定のとおり、鍋田校長や森岡道徳研究主任は、進学関連業務の方が道徳研究よりも優先すると考えていたので、原告から日程調整の申入れがあればこれに応じたものと推認されるところ、原告は右の申入れをしていないこと、また、道徳研究の各会議は、これに優先する業務がある場合は出席しなくてもよいものであることを考慮すると、原告主張の事実があったとしても鍋田校長に管理義務違反があったとは認められない。
また、原告は、鍋田校長が都築進路指導主事を道徳研究の家庭地域連携部長に、茅野教諭を環境情報部長に任命したため、進学関連業務の責任や負担が原告に集中するとともに、進学関連業務の処理日程の確保が困難になった旨主張している。
しかし、前記認定のとおり、都築教諭と茅野教諭以外の三年生担当教員は、進学関連業務に支障が出ないように比較的負担の軽い部会に配属されていたこと、前記説示のとおり、原告は森岡道徳研究主任や早川教務主任との間で日程調整をすべきであったのにこれをしていないことを考慮すると、原告主張の事実をもって鍋田校長に管理義務違反があったとはいえない。
(三) 原告は、鍋田校長が原告の授業時間数を週一九時間としたのは、管理義務に違反する旨主張している。
しかし、前記認定のとおり、原告も週一九時間の授業時間数を了解していたこと、原告の時間外勤務が多くなった原因は、主として道徳研究の各会議との日程調整が行われていなかったことにあることを考慮すると、原告主張の事実をもって鍋田校長に管理義務違反があったとはいえない。
(四) 原告は、鍋田校長が、自らの職責である入学願書等の各種書類の点検や学校長職印の押印等の職務を、原告ら三年生担当の教員に代行させて原告の時間外勤務を加重した旨主張している。
しかし、右の業務は三年生担当の教員が代行しているのが通常であるから、右の事実をもって鍋田校長に管理義務違反があったとはいえない。
(五) 原告は、鍋田校長が、道徳研究全体会、卒業・修了認定会議、進学指導委員会、推薦委員会等の各会議を勤務時間終了後に開催したり、勤務時間終了間際に開催して、原告の時間外勤務を加重した旨主張している。
しかし、道徳研究全体会については、勤務時間終了後は退席してもよい旨の申合せになっていたから、右の主張は採用できない。
また、道徳研究全体会の各会議については、鍋田校長の措置は適切であったとは言い切れないが、前記認定のとおり、原告は、勤務時間終了後は自発的、自主的に右会議に出席していたものであり、鍋田校長に対して勤務時間の割振りを要請したこともなかったのであるから、慰謝料請求権が発生するほどの管理義務違反とはいまだ認められない。
(六) 原告は、鍋田校長は、原告が私立高校一般入試日の午後から進学関連業務に専念できるような配慮を求めても、これを拒否して原告の時間外勤務を加重した旨主張している。
しかし、右の事実を認めるに足りる的確な証拠は存在しない。
仮に、右の事実が存在したとしても、前記認定のとおり、原告の時間外勤務は、教員としての責任感から自発的、自主的になされたものであるから、右の事実をもって慰謝料請求権が発生するほどの管理義務違反があったとはいまだ認められない。
(七) 原告は、鍋田校長は、三年生担当の教員らが進学関連業務で忙しい一月に文部省調査官の学校訪問を要請すべきではなかったし、原告ら三年生担当教員に対しては右特別授業等への出席を免除すべきであった旨主張している。
しかし、前記説示のとおり、原告の時間外勤務の原因は、主として原告が日程調整をしなかったことにあることを考慮すると、右の事実をもって鍋田校長に管理義務違反があったとはいえない。
2 被告愛知県の管理義務懈怠について
原告は、被告愛知県は、複合選抜制度の導入によって著しく加重された進学関連業務を原告に課したうえ、道徳研究を偏重する鍋田校長の学校運営を是正することなく、さらに助長し、原告をして長時間、恒常的で、かつ拘束力の強い時間外勤務に従事せしめたものであり、原告の教育的活動を阻害して教育の自由を侵害し、原告の健康と福祉を侵害することについて重大な過失があった旨主張している。
しかし、右の事実を認めるに足りる的確な証拠は存在しない。
なお、県教委が、道徳研究に関して、大府北中に指導主事等の要職者を派遣したこと及び早川教諭の美術の臨時免許の申請許可したことと、原告の時間外勤務の増加との間に相当因果関係があるとは認められない。
したがって、原告の右の主張は採用できない。
第四 結論
以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官林道春 裁判官山本剛史、同鈴木昭洋は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官林道春)
別紙一 平成元年一月の勤務状況<省略>
別紙二 平成元年二月の勤務状況<省略>